白鵬「史上最強横綱の引退」に際して日本人が今改めて考るべきこと

我々はもう少し歩み寄ってもいいはずだ
西尾 克洋 プロフィール

「悪の朝青龍、善の白鵬」という構図の中で

まず白鵬が支持を集めた理由を追ってみよう。

2007年、横綱に昇進した時は相撲人気が低下し始めた時期と重なる。当時、土俵の中心に居たのは朝青龍で、同じ年に彼は夏巡業を「腰の疲労骨折などで全治6週間」という診断書を提出して休場しながら、モンゴル帰国後にサッカーに興じて2場所の出場停止処分を受ける。横綱審議委員会や相撲協会との対立が報じられ、批判を受ける朝青龍を横目に白鵬は急成長を遂げた。

世間は白鵬に打倒朝青龍の想いを託していた部分もある。また白鵬が特に問題を起こしていないクリーンな力士だったことも期待を集める要因だったのかもしれない。土俵内外で荒れていた朝青龍は、相撲に集中できない状況にあったのだろうが、引退前の直接対決では白鵬が7連勝する結果となった。

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あとで振り返ると、2004年5月場所の千秋楽に北勝力を相手に変化を決めて朝青龍をアシストしたり、2007年3月の朝青龍との優勝決定戦の立合いで変化したり、2008年5月場所でも勝負が決した後で朝青龍と土俵上で睨み合いをしたりと、いわゆる世間が求める力士としての「品格」を全て体現できていたとは言い難い部分もあった。

ただ、思い返すと当時は土俵内外のトラブルが注目を集めていたこともあり、そうした問題の批判の矛先がすべて朝青龍に向かっていたということも、白鵬の態度を諫めることに繋がらなかったのかもしれない。

また、白鵬は元来こうした気質を持っている力士ではあるのだが、朝青龍との対立構図を踏まえて人間性やクリーンな相撲を求めすぎていたということも、後年の批判に繋がったのではないだろうか。つまり「悪の朝青龍、善の白鵬」のような構図が描かれる中で、本来のキャラクターを考慮せずにファンが勝手に白鵬像を作り上げてしまったのではないかと思う。

ただ、白鵬は大相撲をめぐる様々な不祥事が明らかになる中で大きな活躍を見せることになる。

 

この頃から白鵬は度々、自らの相撲について双葉山や大鵬というワードを用いるようになるのだが、大鵬や北の湖、貴乃花といった過去の大横綱の系譜を辿るような「横綱相撲」を見事に体現していった。成績的に白鵬が最も強かったのは、大相撲人気がどん底だった2009年から2010年で、いずれも年間86勝(4敗)。これは歴代最高記録である。また、2010年には63連勝という記録も残している。

63連勝がストップした2010年九州場所2日目は、観客動員が2000人程度とも言われるほど寂しい状況だったが、それでも白鵬はこの一つの完成されたスタイルを武器に横綱の強さを体現し続ける。当時は振る舞いも素晴らしく、全てが完ぺきな白鵬に多くの人々が魅了される結果となった。

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