白鵬「史上最強横綱の引退」に際して日本人が今改めて考るべきこと

我々はもう少し歩み寄ってもいいはずだ

偉大な横綱の光と陰

9月場所千秋楽の翌日、「白鵬 引退の意向」というニュースが大々的に報じられた。

噂には聞いていた。しかしそれは7月場所終了後の引退ということだった。優勝インタビューは現役続行に前向きというより引退という選択肢は全く見えないものだった。そして9月場所も出場を前提としていた中で所属する宮城野部屋にコロナ感染者がでたことからやむなく休場せざるを得ないという状況だった。

相撲解説者の舞の海さんがそのことを「渡りに船」と皮肉ったが、仮に関係者の間で白鵬の引退が囁かれていたとすればこのような発言は無かっただろう。そこまで追い込まれている力士に対して発するには不謹慎すぎる表現だからである。

Gettyimages

白鵬の引退については様々な記事が出ているが、残念なことに、多くの記事の中心にあるテーマは偉大な横綱の引退にはふさわしくないもので、「相撲協会やファンとの対立」である。

それは存在の大きさから来るものかもしれない。偉大であればこそ、多くを求めてしまい、厳しくなるのかもしれない。確かにスポーツの世界でも芸能の世界でも、第一人者と呼ばれる存在に関する報道は賞賛ばかりではない。だが、白鵬のそれは明らかにほかの第一人者のそれとは毛色が異なるのだ。

物議を醸す取り口、相撲協会とのトラブル、不祥事、そしてファンからの批判。リアルタイムで見ているからこそ感情的な部分が邪魔をすることもあるだろうが、史上最強の横綱に対する評価として、「対立」という軸が最初に語られるのはあまりに惜しいことではないか。

 

我々の中で正しく白鵬を整理しなければ、親方となり独立した後の白鵬は、そのイズムを弟子たちに継承することだろう。そして弟子たちはいずれ今と同じ論争を繰り広げることになる。これでは白鵬も、弟子たちも、更には白鵬の作った相撲に影響を受けた力士やファンまでもが批判の対象となり、誰も得をしない結果になることだろう。

そんな相撲界を見れば誰しもが「大相撲というのはなんと面倒な世界なのだろう」と思うはずだ。新たなファンの獲得にも悪影響を及ぼしかねない。

そこで今改めて、偉大な功績の割になぜ白鵬はここまで物議を醸す存在になったのかを整理し、今後どのように評価すべきかを考えてみたい。

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