2021.10.01
# 野球

元巨人・柴田勲が「真っ赤な手袋」を着け始めた「意外なキッカケ」

プロ野球・裏面史探偵(10)

V9に貢献した「シティ・ボーイ」

「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語でもわかるように、1960年代から70年代にかけて、少年の多くは巨人ファンだった。当時、私が生まれ育った愛媛県は、民放が一局(南海放送)しかなく、その一局が日本テレビ系列だったため、プロ野球中継といえば、イコール巨人戦だった。

通学のための野球帽は、全員YGマーク入りだった。少年の日の私は、それが制帽だと思っていた。巨人は帽子だけで相当儲けたはずだ。

柴田勲氏と筆者・二宮清純氏(筆者提供)
 

V9は1965年から73年にかけてだが、ON(王貞治と長嶋茂雄)は別格として、次に人気があったのがトップバッターの柴田勲である。

戦後初のスイッチ・ヒッター。俊足で、しかも甘いマスク。今は死語かもしれないが、「シティ・ボーイ」と言えば柴田の代名詞だった。

少年の頃、夏休みになると父親に連れられて水中翼船で瀬戸内海を渡り、広島によく遊びに行った。目当ては市民球場での広島-巨人戦である。

球場で摩訶不思議な“ヤジ”を聞いた。柴田が打席に立つと、歌手の伊東ゆかりのヒット曲「小指の想い出」をカープファンのオヤジたちが口ずさみ始めるのだ。

  あなたがかんだ 小指が痛い
  昨日の夜の 小指が痛い

なぜ伊東ゆかりのヒット曲を酒に酔ったオヤジたちがダミ声で口ずさむのか。父親に理由を聞くと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、こう吐き捨てた。

「子供はわからんでええ」

実はその頃、柴田と伊東ゆかりは恋仲の関係にあった。もちろん、そんなことを知ったのは、随分あとになってからである。

数々の浮き名を流した柴田でも、さすがにあの“ヤジ”はこたえたのではないか。

「伊東ゆかりの指を噛んだのはオマエじゃろう!」

「昨日の夜も、指を噛んどったのか!」

市民球場は狭く、バッターボックスにもヤジは届く。センターの守備位置につけば、今度は外野のファンが「小指の想い出」の大合唱だ。

蛇足だが、作詞を担当した有馬三恵子は、雑誌「酒」編集長の佐々木久子が主宰していた「カープを優勝させる会」のメンバーで、カープの応援歌「それ行けカープ~若き鯉たち~」の作詞を手がけたことでも知られる。市民球場では、いったいどんな思いで「小指の想い出」を聞いていたのだろう。

関連記事