2021.10.06
# 学校・教育

「変え方がわからない」…“時代遅れのブラック校則”がなくならない「日本の特殊事情」

米仏との比較から考える
飯田 一史 プロフィール

しかし、多様性が認められるようになったかは別の話

――80年代より校則が緩和され、全体としては納得感が高まっているのだとすると、なぜ近年、訴訟が起きるほど再び校則の問題が注目されているのでしょうか。

大津 「生まれつき茶髪なのに地毛の証明書を提出させられた」といった事例が典型的ですが、一つの背景としては外国にルーツに持つ子どもが増えているという事情があると考えられます。以前から、生徒の髪型が問題視されたのはパーマや染髪に関してでした。つまり昔はファッションで「髪をいじった」人が学校から「黒くしろ」などと言われていた。最近は「いじっていない」人が「黒くしろ」と言われることまで起きている。学校も評価の眼にさらされることが多くなり、「近所での評判が大事」となったこともあります。

――これだけ「多様性が大事」と言われているのに学校現場が多様性を認める方向に進んでいないからだと。

大津 そう言わざるをえないですね。先ほど全体としては校則に対する納得感は高まっていると言いましたが、そういう現状を考えると問題がないとは言えません。

生まれつきの髪の色以外に、たとえばジェンダーに関してもそうです。たとえば「女子生徒は必ずスカートを履くこと」という規定に大半の女子が異論がなくても、性自認から「スカートを履きたくない」と感じる生徒がいるのであれば、その校則は見直されるべきと考えます。

[photo]iStock
 

日本の校則は米仏と比べて法的根拠も目的も希薄

――他国と比較して日本の校則にはどんな特徴がありますか。

大津 私が研究しているのはフランスとアメリカに関してですが、たとえばアメリカでは生徒規則は「法令や判例の範囲内で生徒の権利を保障するもの」、つまり法体系の一部に位置づけられています。一方、日本では明治時代に書かれた「生徒心得」にルーツを持ちます。「心得」にすぎませんから現在に至るまで法的な裏付けはなく、そもそも何のために存在するのかという目的も不明瞭です。

アメリカの校則でも「露出の多い服は禁止する」という規定がある学校もあります。しかしこれは、周囲の人の気分を害したり集中を削ぐ行為を禁じることにより、生徒の教育を受ける権利を保障するために書かれている。アメリカの校則は誤解の余地が生じないよう細かく書かれているところがあります。日本では「靴下の色は黒とする」とか「白とする」とあっても、そこまで限定することに合理的な理由がないといわざるをえない。

そして校則の目的が不明確であることが、規則の遵守を自己目的化していくことにつながります。生徒から「なんで守らなきゃいけないの」と聞かれても、先生もたまたまその学校に着任しただけで校則ができたときの意図を知らない。立場上「校則だから守れ」と守らせているだけだったりします。

また、これも法的な裏付けがないことと関係がありますが、89年に文部省が「校則の見直し」を指示した際に、校則には「絶対に守るべきもの」「努力目標にすべきもの」「自主的判断にまかせてよいもの」が混在していると指摘しています。

――たしかに法律であればそういう曖昧な文言は基本的に許されないですね。校則が法体系に組み込まれていないことがよくわかるエピソードです。

大津 しかし、ほとんどの学校ではこれに基づいて整理されていません。どれが絶対守らなければいけないものなのかが、先生にも生徒にもわからないのです。これも、「規則」と「心得」の混在といえると思います。

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