「大学は贅沢品です」の言葉に僕は絶望した

親から虐待を受けてきた若者を取り巻く環境は、あまりにも厳しい。中村舞斗さんも、虐待を受けてきた当事者で大学を諦めなくてはならなかったひとりだ。

大学2年生の時、生活費がなくなり、役所に今だけ生活保護を受けられませんか?と相談に行きました。すると、窓口の人はこう言いました。『大学は贅沢品です』。そこから僕は記憶がなくなっていて、気づいたら病院にいました。自殺を図っていました」

-AD-

舞斗さんは、母親からのネグレクト(育児放棄)に加え、3歳からは祖母による虐待を受けてきた。母親が何日も家を空け、お腹が空きすぎてマヨネーズをつけたティッシュを噛んで、空腹をしのいだこともあった。高校生まで耐え抜き、児童相談所が介入したが、私立高校に通っていたため児童養護施設には入所できずに、精神科病院を転々として暮らした。

その後、舞斗さんは入院中に出会った看護師に憧れて看護大学を目指す。通信制高校を20歳で卒業し、病院で働きながらバイトもし、お金を貯めた。22歳で晴れて大学生になる夢を叶えた。
「僕にとっては、ようやく乗れた普通のレールでした」

看護大学生時代の舞斗さん(右端)。写真提供/中村舞斗

しかし、大学2年生になり小児や母性についての授業が始まると、過去の虐待経験からフラッシュバックが起こるなどして精神的に不安定になりアルバイトができなくなった。

後期の授業料を払ったら生活費がなくなる、休学したら奨学金が止まってしまう。それに休学しても授業料の半分は払わなければならない……。そこで、当時関わってくれていた大人が「生活保護を申請してみたら」と提案してくれた。しかし結果は、生活保護の申請すらできなかった。窓口の人の答えは「休学届けか、退学届を持ってまた来て」だったという。

舞斗さんは、自殺を図ったのちに精神科病院に入院。やがて生活費が尽き、入院中に大学を退学した。生活保護を申請し1年間ほど療養、退院後は働きはじめて今に至る。入院中から現在まで、虐待の後遺症の治療としてトラウマ治療も受け続けている。

「あのときは、ようやく乗れた普通のレールから降りたくない一心で助けを求めました。けれど、差しのべた手を払われたように感じて絶望したのです。他の誰かに頼るとか、相談するなんてことは考えもしませんでした。役所の人から『退学しか道はない』と言われたら、それしかないのかと思ってしまうから」(舞斗さん)

しばらくして気持ちが落ち着いてくると、大学を辞めたことが無性に悔やまれた。

「働きながら必死に勉強したあの努力は無駄だったのかなあって。僕のように虐待を受けてきた子どもたちは、どんなに頑張っても、自分の“背景”に行く手を阻まれてしまう。自分の努力以外の部分で人生が崩れていくことが多いのです。そういうしんどさを、ずっと抱えて生きています」(舞斗さん)