日本海海戦「本日天気晴朗ナレ共波高シ」を見事的中させた明治・気象予報官の超技術

ノーベル気象学者と親交ある著者が解説

2021年ノーベル物理学賞受賞が決まった気象学者の眞鍋淑郎さん。この受賞によって、地球温暖化が世界の重要な課題であることが、あらためて認識されました。

眞鍋さんとも親交のある古川武彦さんは、科学書や教科書の執筆などで活躍する大木勇人さんと共に、ブルーバックス『図解・天気予報入門』を刊行、温暖化がもたらすさまざまな気象現象や、天気予報の起源から未来の予報に向けた研究まで、天気予報にまつわる様々なトピックを解説しています。

生活に欠かせない天気予報。今やテレビやネットなどで、気になったらすぐにチェックできるようになりましたが、日本での科学的な天気予報や、予報を支える気象観測は、いつ、どのように始まったのでしょうか。

前篇の今回は、日本天気予報の黎明から、レーダーと衛星を駆使したリモート予報網の確立までの、気象観測・天気予報技術の発展をご紹介します。

予報官による「地上天気図時代」のはじまり

日本最初の天気予報は、今から130年以上も昔の明治17(1884)年のことでした。この予報の内容は、「全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」(全国的一般に、風の向きは定まったものではなく、天気は変わりやすい)と極めて大雑把で、描かれた地上天気図も、引かれた等圧線が数本のみというきわめてまばらなものでした。

それから約20年後、日露戦争の日本海海戦が勃発した明治38(1905)年に、天気予報が進歩したことがわかる事例があります。

その年の5月27日に、歴史に詳しい人にはよく知られていることですが、日本海軍が対馬海峡付近でロシアのバルチック艦隊を発見します。その際、それを知らせる電文は「敵艦見ユトノ報ニ接し…」で始まり、「本日天気晴朗ナレ共波高シ」と、当日の海上の天気(予報)が書かれていました。これは当時の中央気象台の予報課長の岡田武松によるによる予報文「天気晴朗ナルモ波高カルヘシ」がもとになったものです。

天気図では、海戦前々日の25日に日本海にあった低気圧は、26日にかけて本邦を東進しています。岡田は当日の27日の大陸からの高気圧が張り出しを読んでいました。

実際、その日の観測通報を見ると、対馬海峡に近い釜山(プサン)では「南西の風、風力4、快晴」であり、対馬の観測点では「西の風、風力4、XX(天気不明)」と報告されており、海上では白波がかなり立っていたことは間違いなく、予報は見事に的中していました。

【写真】明治38(1905)年5月27日の天気図明治38(1905)年5月27日の天気図

日本の天気予報初期のこの一コマは、「地上天気図時代」における予報官による予報技術の象徴といえるでしょう。

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