【貴重写真】焼け野原になった銀座を背に写した1枚…戦前・戦中・戦後を生きた「京橋の生き字引」の壮絶人生

20年前のある日、写真家として東京の街を撮影していた筆者は1人の暦売りの女性と出会った。大正15(1926)年、京橋で生まれその地で育ったというその女性は、戦前、戦中、戦後の東京の変遷をその目で見てきた生き字引のような人だった。そんな彼女が筆者に見せてくれた写真に秘められた物語とは――。
 

終戦直後の東京を写した1枚

ここに1枚の写真がある。焼け跡も生々しい街をバックに写る2人の若い女性。この写真、いまは誰もが知る日本有数の繁華街となっている場所で撮影されたものだ。

昭和20年8月、銀座6丁目の朝日新聞別館屋上にて。左が國友光子さん。バックの左に写る焼け焦げたビルは松坂屋銀座店

写真の左に写っている当時19歳の國友光子さん(1926-2017)によると、これは終戦直後の昭和20(1945)年8月下旬、当時の京橋区銀座西六丁目にあった4階建ての朝日新聞社別館(現在、中央区銀座六丁目。東京銀座朝日ビルディングのある場所)屋上で、朝日新聞社の受付の女性と一緒に撮ったものだという。

2人の左後ろに写っている焼け焦げたビルは、空襲で被災した松坂屋銀座店(現在、GINZA SIXのある場所。2013年までこの地で営業していた百貨店)。だとすると右後ろの手前に黒っぽく見えるビルは交詢ビル(現在は商業施設の入った10階建てのビルになっている)だろうか。撮影場所と交詢ビルとの間には1ブロック、松坂屋銀座店の間には3ブロックの街並みがあり、いま、もし同じ場所に立ってもGINZA SIXは手前の建物にさえぎられて見えない。

空襲の被害状況を記した『東京都35区区分地図帖 戦災焼失区域表示』(日本地図株式会社)を見ると、銀座は松坂屋以北が、服部時計店など一部の建物を残してほぼ丸焼けになり、朝日新聞社別館と交詢ビルはかろうじて焼け残ったことがわかる。つまりこの写真は、空襲被害を受けた場所と受けなかった場所のちょうど境目を、終戦直後に写した貴重な1枚なのだ。

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