日朝関係改善の糸口「日本人妻の里帰り事業」が再開されない根本的な原因

解決可能なことから取り組むべきだ
伊藤 孝司 プロフィール

後で触れる平島筆子さんは、「脱北」前に住んでいた吉州(キルチュ)でも日本人妻の集まりがあると語っていたという。このように各地で、日本人妻たちだけで集まり、遊びに行ったり食事したりする機会を設けるなど、行政機関が便宜をはかっていたのだ。

新井好江さん(中央)と家族(2019年5月26日撮影)

平壌で暮らす日本人妻の新井好江さん(1932年生まれ)は、日本では病気になっても病院へ行くことができないほど貧しかった。夫とともに子ども4人を連れて、何の財産も持たずに北朝鮮へ渡る。そしてすぐに、「平壌日用品総合工場」で夫婦揃って働き始めた。新井さんの作業はカバン製造だった。

「工場で働いていた1987年11月に、住んでいる船橋(ソンギョ)区域の人民委員会から呼び出されました。そして、この区域の『出版物普及所』の所長に任命されたんです。図書を、企業や学校へ配布する機関です。それまでの仕事とまったく違いましたが、(退職した)69歳まで張り合いのある仕事ができました」

「主体思想塔」展望台の小林久子さん(1998年5月25日撮影)
 

こうした大抜擢は、新井さん以外の日本人妻にもあった。「主体(チュチェ)思想塔」で、長年にわたって日本語ガイドをしてきた小林久子さんもそうだ。

北朝鮮で帰国者たちが置かれた社会的状況はさまざまである。ここでの生活に馴染めなくて「失敗した」と思った人もいれば、家庭生活や仕事がうまくいき「幸せだ」と思っている人もいるのだ。

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