日朝関係改善の糸口「日本人妻の里帰り事業」が再開されない根本的な原因

解決可能なことから取り組むべきだ
伊藤 孝司 プロフィール

帰国者の在日朝鮮人や日本人妻が、「脱北」してから書いた手記がいくつか出版されている。差別されて社会的に低い地位に置かれている、収容所へ入れられたり行方不明になったりした人がいる、地方都市で貧しい生活をしているなどと書かれている。

それらによって、日本では北朝鮮に対する極めて悪いイメージがつくられた。どんな質問にも率直に話をしてくれる中本さんに、それについてストレートに聞いた。

「私の夫は朝鮮へ来てからも日本と同じ運転手でしたが、日本での商売でお金を持ってきた人はここでも裕福な生活をしていました。日本の都会から来て、やったこともない農業をした人は苦労したでしょう。だけど、日本人だからといってそうしたんではないですよ。それは運なので、仕方ないんです」

自らの希望と異なる地域や職場へ配属される人がいたのは、朝鮮人も同じだったというのだ。そして日本とまったく異なる社会体制を、どうしても受け入れることが出来なかった人もかなりいただろう。

また帰国者の生活水準は、日本の親族による送金や訪問があるかないかでも大きく異なっている。私が平壌や地方都市で訪ねた何軒もの帰国者や日本人妻・残留日本人宅のようすから、生活水準にかなりの差があると推察した。

1992年から43回の北朝鮮取材でも、帰国者たちの生活の全体像は分からなかった。だが、すべての帰国者を“帰国事業の犠牲者”のようにいうのは正しくない。社会的に大きな評価を受けている帰国者もいる。

さまざまな取材現場で、そういった人と偶然出会うことがたびたびあった。農業や歴史の研究機関で働く学者、病院の医師、大規模なインフラ整備を担当する行政機関の幹部、そして海外との交流をする機関の責任者とさまざまだ。

妙香山(ミョヒャンサン)での日本人妻たち(水田一枝さん提供)

平壌(ピョンヤン)市で暮らす水田一枝さん(1940年生まれ)は私に、さまざまな時期に撮影された日本人妻たちの記念写真を見せてくれた。1990年代には、金剛山(クムガンサン)や白頭山(ペクトゥサン)などの景勝地へ数十人で出かけたという。

2016年11月には、地方都市の咸興において日本人妻11人が集まり、残留日本人の荒井琉璃子さんを会長にして「咸興にじの会」が結成された。この地域で、ボランティア活動などで積極的な生き方をしてきた荒井さんと岩瀬藤子さん、そして中本さんは姉妹のように仲良くしてきた。

 

3人は子や孫の世話になるようになって時間ができたため、地元行政機関の「咸鏡南道(ハムギョンナムド)人民委員会」に日本人組織の結成を働きかけていた。その結果、事務所を与えられて人民委員会のワンボックスカーも使うことができ、月1回は集まって食事したりしている。

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