新東京を彩った「カフェー」。
女給と客たちの人情が交錯する

永井荷風Vol.5

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 江戸から連続している新橋の花柳界を描いた『腕くらべ』に対して、昭和六年に上梓された『つゆのあとさき』は関東大震災後、面目を一新した東京の風俗を描いた作品と位置づける事が出来るだろう。

 新東京の風俗の中心となったのが、俄に林立したカフェーであった。

 カフェーと呼ばれる店は、明治二十年頃から東京にあった。明治四十四年に京橋日吉町に『プランタン』が開店し、女給が和服に白いエプロンを着て洋食を供するというスタイルを確立したが、帝都の相貌が震災によって革められてから、その殷賑はいよいよ盛んになった。「西洋文明を模倣した都市の光景もこゝに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。此の悲哀は街衢のさまよりも寧こゝに生活する女給の境遇について、更に一層痛切に感じられる」(『つゆのあとさき』)。

 荷風のカフェー通いは、大正十五年の夏からはじまる。七月二十日、浅草金龍館の女優川合寿美子と、浅草広小路のカフェーオリエントに行った。「寿美子が知合の女給あまた食卓のほとりに来る。店内の光景宛然シンガポールの日本人女郎屋の如し」と『断腸亭日乗』に記している。「食卓のほとり」という云い廻しも可笑しいが、「シンガポールの日本人女郎屋」というのも面白い。

 八月二十日には、銀座のタイガーで夕餉をとり、九月に入るとほぼ毎日のようにタイガーに姿を見せるようになる。九月十七日などはオリエントとタイガーを梯子している有様で、荷風の「カフェー時代」とも云うべき月日は五年余り続き、『つゆのあとさき』の構想が熟していったのだろう。

 カフェーをとりあげた小説としては、昭和五年、半年余りに亘って『婦人公論』に連載された広津和郎の『女給』が大きな反響を呼び、映画化された上、その主題歌が大ヒットしている。

暗殺者が目にした官能的欲望と貧困

 『つゆのあとさき』の主人公、カフェー『ドンフワン』の女給、君江は新時代にふさわしい女性として造形されている。「十七の秋家を出て東京に来てから、この四年間に肌をふれた男の数は何人だか知れない程であるが、君江は今以つて小説などで見るやうな恋愛を要求したことがない。

松屋銀座 小説『つゆのあとさき』の舞台は、松屋呉服店(現・松屋銀座)の2~3軒隣にあった

 従つて嫉妬といふ感情をもまだ経験した事がないのである。君江は一人の男に深く思込まれて、それがために怒られたり恨まれたりして、面倒な葛藤を生じたり、又は金を貰つたゝめに束縛を受けたりするよりも、寧相手の老弱美醜を問はず、その場かぎりの気まゝな戯れを恣にした方が後くされがなくて好いと思つてゐる。十七の暮から二十になる今日が日まで、いつもゝ君江はこの戯れのいそがしさにのみ追はれて、深刻な恋愛の真情がどんなものかしみゞ考へて見る暇がない」(同前)

 君江は淫蕩な性質であり、いわゆる世俗道徳からは酷く乖離しているけれど、けして人情に欠けているわけではない。乱暴な運転手に転ばされて怪我をして療養している時、君江は十七で家出した時、世話になった小石川の「をぢさん」と偶会する。「をぢさん」は、ある会社の株式係をしていて、使い込みが露見し懲役に行ってきたのだった。君江は「をぢさん」を自宅に連れ帰り、出来るかぎりの供応をする。「をぢさん」は、わずか二杯のビールに酔って述懐する。

 「世の中は何といつてもやつぱり酒と女だな。おれももう一度奮発して働いて見やうかと思ふんだが、ひゞたけの入つた身体ぢやどうする事もできない。君子さんなんかは此れからだ。此れから先ほんとうに世の中の味がわかつて来るんだよ。田舎へ帰るなんて、先刻そう言つてゐたけれど、半月と居られるものか。おれ見たやうになつても、赤い布団を見たり、一杯飲んでぽうツとすると、やつぱりむらゝとして来るからな」(同前)

 君江が酔って眠っている間に、「をぢさん」は遺書を残して去った。「くれゞもあなたの深切を嬉しいと思ひます。私は実際の事を白状すると、其の瞬間何も知らないあなたをも一緒にあの世へ連れて行きたい気がした位です。男の執念はおそろしいものだと自分ながらゾツとしました。では左様なら。私は此の世の御礼にあの世からあなたの身辺を護衛します。そして将来の幸福を祈ります」

 いわゆる血盟団事件で、井上準之助を暗殺した、小沼正は昭和二年、十七歳で上京し、しばらくの間、銀座の染物店で外交員として働いていた。顧客はカフェーの女給たちだった。女給は店の決まりで頻繁に衣装を新調しなければならない。とはいえ、毎度新調するわけにはいかないので、手持ちの服を染めかえる事で凌いでいたのである。

 小沼は、営業としてかなり優秀だったという。女給たちに気に入られ、コーヒーや食事を御馳走になったという。「感傷的」な女給たちの生活を観察しながら、小沼は社会悪に目覚めていく。

 「不景気でエロ思想の全盛であるからエロサービス万点でないと客足がつかないで女給達は客に対してどんな気持を持つて居るか?/芸者屋、待合、日本料理屋の如く主人と使用人(女)との間に人情的な交渉はないのがカフエーである。主人は女給に物さい売らせる事のみ計して居る女給がどんなサービスを仕様と売春をし様と女給部屋でどんな姿態をしてどんな話をして居様と一向知らん振りだ(中略)

 それと反対にカフエー全盛時代である、それはそうだ、一晩待合で消費する金があればカフエーならウイスキーブランデーを何杯呑めるか知れない、而して安直に女給のエロサービスに逢るのだもの、呵々、世の中も此の辺迄来て仕舞へば話はない、而してエロを漁る為には道義も国家も社会も何にもない、塵箱をあさる人間の犬だ、女給の浮いた尻のにほひに一夜の夢もまた二十世紀の紀念物であらう、浮いたジャズバンドに女給の口音楽にウイスキーに淫な会話に官能的欲望をそゝる様な灯の下で、人心去勢法は実に成功して居る」(「上申書」『現代史資料5 国家主義運動2』)

 小沼は、染物屋を辞め、カステラ工場に勤務した。主人は使用人扱いすることがなく、いつも「小沼様」と呼ぶような人だった。小沼は一生懸命に働いたが、経営が立ちゆかなくなり、工場は倒産した。再び銀座に戻り染物の営業をした後、茨城に帰った。

 故郷に戻り、農村の疲弊を目の当たりにした。五十銭の金もない農家が珍しくなかった。米が一粒もない農家もあった。すべて借金で押さえられてしまったのだ。

 旧友の古内栄司と国家改造の話をするようになった。ほどなくして、大洗東光台の護国堂に井上日召を二人で訪ねた。

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