1959年に始まった北朝鮮への在日朝鮮人「帰国事業」とは何だったのか

日朝両国政府の思惑に翻弄された人々
伊藤 孝司 プロフィール

北朝鮮行きの動機

「日本では、朝鮮人への差別があったんです。選挙で朝鮮人は投票できないので、夫に申し訳ないと思いながら私一人で投票所へ行きました。そしてお腹の子どもは(生まれても)、学校で日本人の子どもたちからいじめられ、思うように勉強できないだろうと思ったんです」

中本愛子さん(2019年7月15日撮影)

このように中本愛子さんは、民族差別から逃れるために夫とともに北朝鮮へ行く決断をしたという。他の日本人妻や帰国者たちも、子どもの教育のために一家揃ってとか、学費がなくて断念した大学進学のために単身で北朝鮮へ来たと語った。

私は中本さんに、両親が渡航に反対しなかったのか聞いた。

「お父さんは『嫁ぎ先のいうことを聞かないといけないので行きなさい』と言いました。ですがお母さんは、病身だったこともあり長女の私を頼っていたので泣きながら反対しました。私は『3年したら里帰りできる』となだめたんです」

岩瀬藤子さん(右端)と家族(2017年8月9日撮影)
 

岩瀬藤子さん(1940年生まれ・2018年死亡)も「3年経ったら日本と朝鮮を行き来することができるという話があり、別れることを深刻に思う人はいませんでした」語った。

取材したどの日本人妻たちも「3年で里帰り」という話を聞いたというが、その出所は分からない。

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