1959年に始まった北朝鮮への在日朝鮮人「帰国事業」とは何だったのか

日朝両国政府の思惑に翻弄された人々
伊藤 孝司 プロフィール

帰国を絶賛したメディア

帰国する在日朝鮮人のほとんどは、出身地が朝鮮半島南側だった。しかしその韓国(大韓民国)では李承晩(イ・スンマン)大統領による強権的な軍事独裁政権が続いていたため、社会主義体制の北朝鮮へ渡ることを決断した人も多い。

1959年8月に「日本赤十字社」と「朝鮮赤十字会」は、インドのカルカッタ(現在のコルカタ)で帰国事業についての協定に調印。その年の12月14日、最初の帰国船が新潟港から北朝鮮の清津(チョンジン)港へ向かった。

日本を出港する帰還船(Wikipediaより)

日本の大手メディアはこぞって、朝鮮戦争による廃墟から急速に復興する北朝鮮を褒め称え、帰国事業の後押しをした。最近でも、「朝日新聞」だけが積極的におこなったかのような記事があるが、それは完全な間違いである。

当時の新聞を調べれば、「産経新聞」や「読売新聞」など他紙も同じ対応だったことが分かる。帰国者を取材するために北朝鮮へ入った「産経新聞」特派員は、「北朝鮮帰還者 感激の平壌入り」「北朝鮮 全土にあふれる喜び」との記事を書いている。

「産経新聞」に2014年から1年間にわたって、小説『アキとカズ 遥かなる祖国』が連載された。北朝鮮へ渡った日本人妻・カズの運命も描いている。その作者である喜多由浩氏は、次のように書いている。

 

「わが産経新聞記者も北朝鮮を訪問し、帰国船が着く清津港でも歓迎ぶりや、帰国者が入る宿舎の様子や経済力を好意的にリポートしていた。他のメディアもほとんど変わりがない」(「産経新聞」WEB 版、2014年8月14日「産経新聞さえもが北朝鮮・帰国事業を絶賛していたころ」)

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