1959年に始まった北朝鮮への在日朝鮮人「帰国事業」とは何だったのか

日朝両国政府の思惑に翻弄された人々
伊藤 孝司 プロフィール

日本政府の追放政策

1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、9万3340人が北朝鮮へ渡った。その内、日本国籍者は朝鮮人と結婚していた日本人配偶者とその子どもの6679人。日本人配偶者はその中の1831人で、ほとんどが女性だった。私が取材した日本人妻の中には、日本国籍を放棄してから帰国船に乗ったと語る人がいることから、実際にはもっと多いのだろう。

なぜ、これほど多くの在日朝鮮人と日本人が北朝鮮へ渡るという大事業が行なわれることになったのだろうか。

日本による朝鮮植民地支配によって、朝鮮半島から膨大な数の朝鮮人が日本へ渡ってきた。過酷な植民地政策によって生活できなくなった家族や、本人の意思に反して「徴用」などによる労働者として玄界灘を越えてきた人たちだ。日本で暮らす朝鮮人は、もっとも多くなった1944年には約194万人にも達する。

1945年8月に祖国が解放されても、約30パーセントの朝鮮人たちが日本へ残った。だがその多くは、民族差別と失業による貧困で苦しむ。1959年頃には、在日朝鮮人の生活保護受給者は約8万1000人にも達し、その年間経費は約16億9000万円にもなっていた。

外務省から「日本赤十字社」へ派遣されていた井上益太郎外事部長は、次のような見解を示した。

「日本政府は、はっきり云えば、厄介な朝鮮人を日本から一掃することに利益を持つ」(「在日朝鮮人帰国問題の真相」日本赤十字社、1956年)

元山港の人たちへ手を振る在日朝鮮人(1998年6月4日撮影)

日本政府は財政負担を減らすだけでなく治安対策としても、在日朝鮮人を追放したいと考えていたのだ。「日本赤十字社」は1954年1月に、「朝鮮赤十字会」へ文書を送る。

「もし帰国が許されるならば、その便船を利用し、日本にある貴国人にして帰国を希望するものを貴国に帰すことを本社は援助したい」(日本赤十字社「日本赤十字社社史稿 第6巻(昭和21年-昭和30年)」1972年)

北朝鮮には3163人(1955年現在)の日本人が残っていた。その日本人の帰国と、在日朝鮮人の帰国をセットで進めようという提案なのだ。このように帰国事業が始まるきっかけは、日本側がつくっていたのである。

そして朝鮮戦争の傷跡が深く残る北朝鮮に、多くの帰国者を受け入れるだけの経済的・社会的余裕がなかったにもかかわらず、日本政府は追放するように送り出すことにした。

一方の北朝鮮は、中国とソ連の政治的対立が深刻化する中で、それらの国と距離を置いて日本との関係改善を模索していた。

 

1955年2月には、南日(ナム・イル)外務大臣が国交正常化を呼びかけた。そして1958年9月に金日成(キム・イルソン)首相は、「共和国政府は在日同胞が帰国して新しい生活ができるようにすべての条件を保障する」と表明した。

こうして両国政府の思惑が一致し、熱気を帯びた大規模な帰国運動へと発展していった。

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