苦境に立たされた森保ジャパン
森保ジャパンはいきなり崖っぷちに立たされている。
来年のカタールワールドカップに向けたアジア最終予選が9月からスタートし、オマーンを迎えたホームゲームでよもやの敗戦。カタール・ドーハに飛んで中4日の中国との一戦には高い集中力で勝利したとはいえ、低調だった相手に助けられた印象もある。

正念場となるのが、ここまで2連勝して日本の上位にいるサウジアラビア、オーストラリアと対戦する10月シリーズ。7日にアウェーでサウジアラビアと対戦し、12日にホームでオーストラリアを迎え撃つ。
自動的に本大会出場権を得られる2位以内に入ることを考えれば、最低でも1勝1分けの勝ち点4で乗り切りたい。ここで1敗でも喫してしまえば、非常に苦しくなってしまう。
“ジョホールバルの歓喜”によって日本が初めてアジア最終予選を突破してフランスワールドカップに出場を果たして以降、本大会のチケットを取り逃がしたことは一度もない。しかしながらどの時代にも「手痛い敗北」はあった。大切なのはその苦い経験を、どうバネにできるかどうか。森保ジャパンに奮起を促すべく、過去の日本代表がいかに乗り越えたかを振り返りたい。
キャプテンからジーコ監督への進言
ジーコジャパンは最終予選でイラン、バーレーン、北朝鮮と同グループに入った。初戦、ホームでの北朝鮮戦(2005年2月9日)に大黒将志のロスタイム弾で何とか勝ち点3を手にするも、続く3月25日、イランとのアウェーマッチを1-2で落としてしまう。チームは日本に戻って中4日でバーレーンと戦わなければならない。