「中国版リーマン・ショック」発生か…!中国最大の不動産会社「恒大集団」破綻秒読みの深層

「広州の皇帝」こと許家印(きょ・かいん)前董事長(前会長)が一代で築き上げた中国最大の不動産会社「恒大(こうだい)集団」が、破綻の際に追い込まれている。

過去20年の中国経済の牽引役だった不動産業界にあって、その中心にあったのが恒大集団だった。今年も8月までの売上高は、4368億元(約7兆4300億円)を記録している。これは、万科の4449億元(約7兆5600億円)とほぼ並んで、中国で2位につけている。

そんな不動産業界の巨人が破綻すれば、中国経済と世界経済に与える影響は、計り知れない。「中国版リーマン・ショック」を危惧する世界の金融関係者も多い。日系企業も、家電メーカーから商社まで、取引先は多岐にわたるだけに、その影響は甚大になることが予想される。

一体、恒大集団に、何が起こっているのか? まずは、立志伝中の人物である創業者の許家印・前董事長(62歳)と、恒大の足跡について見ていこう。

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一夜にして中国ナンバー1の大富豪に

許家印氏は1958年10月9日、中国中部の河南省周口市太康県高賢鎮の寒村に生まれた。父親は抗日戦争に従軍した元傷病兵で、村の倉庫の保管係をしていた。1歳の時、母親が敗血症で死去。許氏は幼少時から、祖母の内職を手伝った。ボロボロの小学校に通いながら、「なぜ中国の建物は雨風さえしのげないのか」と、忸怩たる思いだったと、後年回想している。

1974年に高校を卒業すると、世は文化大革命の末期で、村の保安係になった。許氏はこの頃、初めて小さな商いを行った。石灰や炭、米などの物資を生産現場から仕入れて、村の市場で売ったのだ。それでも一家の貧困は続き、176cmと長身なのに、45kgしかなかった。

1977年に、中国で約10年ぶりに大学入試が復活し、許氏も受験するが、不合格。浪人して翌年、再受験し、見事、周口市で3位の成績で、湖北省の武漢鋼鉄学院(現・武漢科技大学)に合格した。そこで金属材料を学び、工場の技術者を目指した。

学生時代は奨学金を得て、服は一着しか持たず、夜洗って裸で寝て、朝渇いた服を着るという日々だった。食べる物も、いつも堅いパンをかじって飢えをしのいでいた。ある日、なけなしの金をはたいて、どうしても食べたかった大学裏手の屋台のラーメンを食べていたら、教師に見咎められ、「奨学生が何を贅沢しているか」と叱られたという。

1982年に大学を卒業し、河南舞陽鋼鉄工場に「分配」された(注:当時の中国は就職先は当局が指定した)。そこで「車間主任」として、「生産管理300条」などを定め、工場管理を覚えていった。年若いながら管理の術が巧みだったため、工場内で「小皇帝」と呼ばれた。

1992年、中国の最高実力者で当時87歳の鄧小平氏が、南方の深圳などを視察し、「南巡講話」を発表する。保守的な路線に傾いていった江沢民政権に、「改革開放を加速せよ!」と発破をかけたのだ。これに勇気づけられた許氏は、河南舞陽鋼鉄工場を退職し、改革開放の本場である深圳に渡った。

深圳では、中達という貿易会社に就職した。すぐに頭角を現し、オフィス主任を経て、子会社の社長を任された。

1994年の国慶節(注:10月1日の建国記念日)の時、本社社長に、「これからは不動産が開発される時代になるので広州で手掛けたい」と進言(注:当時の中国では住居は当局から「分配」されるもので、民間不動産会社はほとんどなかった)。これが認められ、広東省の省都である広州に鵬達という子会社を作り、そこを任されるようになった。

 

広州で初めて、「珠島花園」というマンション群建設を行い、2億元(約34億円)の利益を出した。だがそれだけの実績を挙げても、月給は3000元(約5万円)余りのままだった。そのため、許氏は中達を退職する。

1996年、38歳の許家印氏は、わずか7、8人の仲間を集めて、「恒大」を興した。開業資金の600万元(約1億1000万円)は、中達から借金した。

許氏は、広州の工業大通りに建つ農薬工場が移転するという話に目をつけた。広さ11万㎡で、土地に農薬が残留しているため、1億元(約17億円)で土地の使用権を買収できた。そこで農薬工場側と話をつけ、支払いを分割にしてもらい、手付金の500万元(約8500万円)を支払った。

1997年8月、そこに「金碧花園第1期」というマンション群323戸を販売すると発表。低価格が受けて、わずか半日で完売した。それによって8000万元(約13億6000万円)の開発資金が入り、マンションを着工した。続いて、同地に5期までで1600戸を販売し、完売。同様の手法で、「処女地」だった1000万都市・広州の不動産を、次々に開発していった。

北京オリンピックが開かれた2008年、恒大の年商は118億元(約2000億円)に達し、翌2009年11月、香港証券取引所に「中国恒大」として上場を果たした。即日、705億香港ドル(約1兆円)の時価総額を記録し、422億元(約7200億円)の資産家になった許家印董事長は、一夜にして中国ナンバー1の富豪となった。

2010年3月、広州のプロサッカーチームを買収し、広州恒大サッカークラブとした(今年1月から広州サッカークラブに名称変更)。3年後の2013年には、中国チームとして初めて、アジアクラブ選手権で優勝を果たすなど、CSL(中国スーパーリーグ)を牽引する人気チームとなった。

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