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「モノづくり大国」日本、じつは「世界で勝てる」のに負けてしまう「本当のワケ」

宇宙産業に見る「現実」と「課題」
村上 誠典 プロフィール

なぜ、「はやぶさ」プロジェクトは生まれたか

その後、私は宇宙科学研究所(当時。現在JAXA)の川口淳一郎先生(初代はやぶさのプロジェクトマネジャー=責任者)に従事する機会に恵まれました。川口先生は宇宙業界でも皇太子と呼ばれるぐらい、頭が良く神童でした。私が大きく疑問に感じたのが、そんな先生の時間の多くを予算獲得のための書類作成やお役所への説明に使わなければいけない実態でした。

ここでの経験が、私が宇宙産業にエンジニアや研究者としてとどまるのではなく、グローバルやビジネスを志すようになった背景です。

2003年に打ち上げられ、そのドラマティックなストーリーから世間の注目を集めた「はやぶさ」があります。私自身も微力ながら関連技術の研究や開発に関わらせていただきました。先ほど述べたように、日本の宇宙開発は規模でこそアメリカに劣りますが、技術力ではまだまだ負けてないということを世界に示したのだと思います。

ここのエンジニアや研究者の優秀さは私自身も身をもって感じていました。斜陽産業の道を歩みつつありましたが、それでも宇宙への憧れ、ロマンもあり多くの優秀な人材を抱えていたからです。

川口淳一郎氏 photo/gettyimages
 

なぜ、「はやぶさ」が生まれたのか。それは偶然ではなく必然だと考えています。限られた予算で、何ができるのか。実証したいテクノロジーは無数にある。そこで考えたのが、あらゆる技術を詰め込み、少ない予算をチャレンジングなプロジェクトに集中投下することで、世界にないインパクトのある結果を目指そうとなったのです。

これは第二次世界大戦における日本の特攻とも重なります。もちろん「はやぶさ」に特攻がいたわけではなりませんが、限られたリソースでなんとか諸外国に一泡吹かせたやろうとい観点では正しく同じ発想です。つまり、身の丈に合っていないストレッチしたプロジェクトだったのです。

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