「家族にすべてを奪われた」認知症当事者が言えなかったホンネ

認知症の私から見える社会(4)
39歳でアルツハイマー型認知症と診断されて8年、全国を飛び回り、300人を超える認知症当事者と対話し続けている著者、丹野智文。彼だからこそ書けた当事者の「本音」、そしてよりよく生きていくための著書『認知症の私から見える社会』から注目の章をピックアップしてお届けします。
認知症当事者700万人時代を迎え、すべての人のすぐ隣にある世界をもっと知るために。

当事者不在の認知症カフェ

認知症カフェという場所があります。認知症カフェは、ヨーロッパで始まったスタイルを取り入れて、認知症の人と家族を支援することを目的に、2012年から国の認知症施策の一つとして普及が始まった場所です。

Photo by iStock

認知症の人や家族、地域の人たちが気軽に集い、悩みを共有し合いながら、専門職に相談もできる場所になっています。認知症カフェはカフェという自由な雰囲気の中で、支える人と支えられる人という隔たりをなくして、地域の人たちが自然と集まれる場所だと言われています。

しかし実際には、必ずしもそうした場所にはなっていません。

日本では、認知症カフェができる以前から「認知症家族の集まり」が行われてきました。でもそこは、家族が介護の大変さを話して共有する場所だったと思います。たしかに家族にとっては介護のつらさや困りごとを話すことで気持ちが楽になったり、介護の仕方など情報を教えてもらったりすることで救いの場になっていました。家族のつらさを分かち合える場が必要だったのだと思います。

 

日本では、そのような家族が集う場も「認知症カフェ」としてしまいました。そのため、一部のカフェでは家族の困りごとの相談が中心になってしまっています。

このような、家族の相談が主体の認知症カフェに、当事者が一緒に参加しても、そこは家族がつらさを分かち合う場であり、家族中心で話が進められるから、当事者の居場所はありません。

なぜ、このようなことを例にしたかというと、認知症カフェの話をしても「当事者が来ない」と言っている主催者が多いからです。

「認知症カフェに当事者が行かない理由」、それはカフェに行っても面白くないからです。

関連記事

おすすめの記事