「認知症は“何も分からない”とは違う」39歳で認知症になった私が想いを語る理由

認知症の私から見える社会(1)
丹野 智文 プロフィール

認知症の本人の意見を聞いて欲しい

私は活動の中で、県や市の会議に入り当事者が読む冊子を作ったり、認知症の人の生きづらさ等に関する調査の話し合いにも関わってきました。

そこで常に私は「認知症の本人の意見を聞いて欲しい」と言い続けています。

それを言うと、「じゃ重度で話ができない人の意見はどうするの」と言われ、「ウェブを使って情報を発信しよう」と言っても、「携帯電話が使えない、パソコンを持っていない人はどうするの」と言われてしまいます。

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そもそも、認知症の発症年齢によっては携帯電話を使いこなせない人もいるし、日常的に使ってきた人もいます。ですから、携帯電話は使える人が使えば良いのです。最近は携帯電話も簡易に使える機種が増えているので、使えない人は覚えれば良いし、覚えられない人は周りがサポートすれば良いと思うのです。

「認知症の本人の意見を聞いて欲しい」と発信した時に、なぜ、すぐに進行した人の話を持ってくるのでしょうか。私の活動は、これから認知症になる人や診断されて落ち込んでいる人が、困らないようにするための活動です。

 

当事者の暮らしは、診断後、初期の段階から自分で決めて工夫しながら行動している当事者と、診断直後から「認知症だからできない」と決めつけられて、制限や監視の環境のもとで生活するようになった当事者とでは、明らかにその後の進行や暮らしぶりが違うのです。

「認知症の本人の意見を聞いて欲しい」と発信する際に、家族や当事者の置かれている環境などにより、さまざまな意見があるとは思いますが、私はこれから認知症と診断される人たちや、初期で診断されて不安でいっぱいの人たちに向けて「このようにすればこれまでの生活を続けていける、うまくいくかも」と提案したいのです。

それなのに、「進行してできない人たちはどうするのか」「いままで使っていない人たちはどうするのか」ということは、話の論点がズレていて、おかしいと思うのです。これを「差別だ」と言う人がいます。これは差別ではなく、段階に応じた対応です。喋れない人の話は、誰かが代弁したら良いし、道具を使えない人には使えるようにサポートしたら良いのです。「喋れない人はどうするのか」「うちの人は使えない」と言うのは、私からしたら屁理屈にしか聞こえません。「できるかできないか」「0か100か」で考えるのではなく、どのようにしたらできるのかをなぜ考えないのでしょうか。

そして何より、診断直後の良き仲間、良き支援者との出会いは、その後の当事者の人生を大きく変えるのだと、私は活動から実感しています。

認知症は、進行してから行動や生活を変えるのは難しいと感じています。しかし、診断直後に適切なサポートを受け、本人が病気とうまく関わることができれば認知症と診断された当事者はより良く生きられます。だから、「できなくなる」「できない」というような、将来に向けてのネガティブな情報ではなく、より良く生きている当事者の情報が必要なのです。これは、当事者同士が出会うことで、実際に変わった当事者をたくさん見てきたからこそ言える話です。

私が全国で出会ってきた支援者の中には、とても素晴らしいサポートをしている人たちがいます。そのサポートとは当事者の話を丁寧に聞き、当事者の想いを一緒に実現している人たちです。しかし、それは一部の人たちであり、多くの人たちではありませんでした。

この連載を読んでいるみなさんも、認知症と診断された時に私たちと同じ思いをしないように、当事者の話を聞き、認知症と診断された人の視点に立って、社会を見つめてみてください。それがあなたのこれからの「備え」となるのです。

続きは『認知症の人たちの言葉』です。
▽『認知症の私から見える社会』は予約受付中。ここでは紹介できない章も満載です。
第一章 認知症の人たちの言葉から
第二章 認知症の人の目の前にある「現実」
第三章 「やさしさ」という勘違い
第四章 「あきらめ」という問題
第五章 工夫することは生きること
第六章 認知症と共に生きる

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