「認知症は“何も分からない”とは違う」39歳で認知症になった私が想いを語る理由

認知症の私から見える社会(1)
丹野 智文 プロフィール

認知症の人のことを「当事者」と言う理由

私は、認知症の人のことを「当事者」と呼んでいます。「患者」とは言っていません。これは意識的にそうしているのです。「病気になったのだから『患者』だよ」と言う人もいます。講演会や取材でも私が「患者」という言葉を一度も使っていないのに私のことを取材した新聞記者さんは「患者」と書いていました。

辞書で「患者」を調べると、医者から診断や治療、助言を受け医療サービスの対価を払う立場の人、医者の側から見た言葉、と載っています。医者の側から見た言葉なのに、医者でもない人が普通に使っているのです。

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「薬を飲んでいるから患者」だと言われたこともあります。たしかに病院では、診察を受けて薬を処方されるのですから「患者」です。でも、病院から外に出ても「患者」と言われるのはおかしいと思います。

認知症の症状はあるけれど普通に生活しているのに、「患者」と言われることで「病人」というイメージとなり、それが「認知症が進行した状態=認知症」という、間違った理解を広めることになります。症状はあるが生き生きと暮らしている人を「患者」と呼ぶことで、「重い病気の人」というイメージを植え付ける可能性があるからです。

 

私は「人の顔がわからない」ことや「物忘れ」することがあるけれど、工夫をすることで補うことができています。そんなに重い病気とは思っていないので、みんなが考えているような「患者」という感覚は私の中にはありません。

当事者という言葉には、「その事柄に直接関係している人」という本来の意味があります。「本人」「認知症の人」であるとともに、本当の意味で認知症に関わる「当事者である」という意味で私は「当事者」という言葉を使っています。

気遣いのない言葉が、「認知症の人=大変な人」というイメージを広げ、「認知症なんかになりたくない」と思わせる原因となるのです。

いままで私は、「認知症の症状から逃げ出すことができない人」「認知症と診断された人」のことを当事者だと考えてきました。しかしそれだけではなく、診断された本人が、暮らしていく中で、自分の意思によって自由に行動をしたり、要求することが当たり前としてできるのだということを社会に発信していく、「認知症に関係して発信していく人」だと思うようになりました。

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