中国の急激な膨張を支える《天下主義》という強烈なイデオロギーの正体

中華圏の「新たな政治思想」
福嶋 亮大 プロフィール

長らくグローバルな金融都市であった香港は、こうした右翼的でナショナリズム的な発想からは、本来最も遠い存在であった。にもかかわらず、ナショナリズムで武装し、香港を守るべき《本土》として定着しなければ、あっというまに中国化されてしまうという危機感が、本土主義を突き動かしている。ここ数年、香港の歴史的固有性を強調する書籍が多く出されてきたのも、このような流れとシンクロしたものである。

超国家的なユートピア主義である「天下主義」と香港にネーションの基礎を与えようとする「本土主義」。この見事なコントラストをなす二つのイデオロギーが、21世紀中華圏の政治思想を輪郭づけている――このような思想状況は日本ではなじみが薄いが、本来ならばもっと大きな関心がもたれてしかるべきだろう。『ハロー、ユーラシア』はその簡単な導入として書いたものである。

 

イデオロギーが求められる理由

日本の人文書の世界では、もはや「大きな物語」を語ることは流行らない。思考によって現実を踏み越えることに、われわれは暗黙のうちにブレーキをかけている。

中国の天下主義や香港の本土主義は、それとは逆である。すべてがエスカレートしてゆく《勢》の支配下では、自己を踏み越えて、新たな自己像を強引にもぎとってこなければ生き延びられない――、そのような強い危機感がその背景にあるだろう。中国も香港も20世紀までとは別人になりつつあり、その切迫した変化に対応したイデオロギーが要求されているのである。

中国は一見して「コロナウイルスとの戦争」で勝利を収めたかのように見えるし、香港の自治もあっという間に奪い取ってしまった。香港の一国二制度は、今となってはおとぎ話のようにすら思える。しかし、勝利の瞬間こそが最も危険なのである。中国の嫌な一面がこれほどあらわになった時代はない。中国が世界を主導しようにも、下落した評判はとうぶん回復不可能だろう。

関連記事

おすすめの記事