中国の急激な膨張を支える《天下主義》という強烈なイデオロギーの正体

中華圏の「新たな政治思想」
福嶋 亮大 プロフィール

今の中国のイデオローグたちによれば、西洋型の近代はすでに行き詰まっている。アメリカは覇権主義的な帝国になりはて、ヨーロッパのリベラルは個人主義の閉域に陥って、社会の分解を止めることができない。これらの限界を突破する概念とされるのが、古代から続く中国の《天下》である。

天下主義者は単一国家からではなく、むしろ国家を超えた世界=天下から出発する。つまり、偏狭なナショナリズムのように一国のエゴを丸出しにするのではなく、平和で互助的な世界=天下を最優先にして、政治を構想するのである。さらに、天下主義者は個体ではなくネットワークを、より本質的なものとする。それによって、西洋の個人主義とは違って、個人と個人のあいだに広がる複雑な「関係」を捉えることができるだろう……。

このような「天下主義」のお題目は、周辺国家とのウィンウィンの経済的関係を構築するという触れ込みの一帯一路構想と、明らかに呼応している。中国はもはや単純なナショナリズムだけでは、膨張する国家のアイデンティティを組織できない。アメリカに代わる世界の盟主として、かつての共産主義とは異なる新たなユートピア像が必要なのである。そのユートピアを輪郭づけるのに《天下》はうってつけのコンセプトとなった。

 

香港で生まれた思想

習近平政権が一帯一路構想を提唱したのは2013年である。その後、香港では2014年に雨傘運動が勃発し、民主化運動はかつてなく先鋭化していった。ちなみに、2014年はトルコでエルドアンが大統領に、インドでモディが首相になった年でもあり、それ以降この両国では宗教色が強まって、ヨーロッパ的な世俗主義からの転向が鮮明になってゆく。2010年代半ばは東アジア政治史の重大なターニング・ポイントとして、後々記憶されるだろう。

がけっぷちの香港でもここ数年、イデオロギー的言説が急速に目立つようになった。それは香港こそを固有のホームランドとして、その中核的な価値観を守り通そうとする「本土主義」である。三島由紀夫の「文化防衛論」のようなものだと考えると、日本人にもわかりやすいだろう。

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