王名を検討することで、5・6世紀の王宮の実態が明らかになる

新たな方法論
古市 晃 プロフィール

王名との関係

ここで思い起こされるのが、王宮と王の名の間に密接な関係があることを指摘した研究である(狩野久「部民制」)。たとえば日下くさか(草香などとも表記)という名を持つ王族たちがいるが、その名は本来、河内かわち国河内郡の日下(現大阪府東大阪市日下町)にあった王宮にちなむ。

彼らやその王宮に奉仕する人びとは日下部と呼ばれ、王宮の維持や王族の生計に必要な物資を負担したり、宮に参集して王族に仕えたりした。こうした人びとを名代なしろ子代こしろという。名代・子代の存在は、王宮と王名の間に密接な関係があることを示している。このことは、5・6世紀の王宮の実態を明らかにする上で、王名を検討することが有用であることを示唆している。

ただし王宮と王名の関係は、名代・子代に限られるものではない。名代・子代の存在が確認されていない王族の場合でも、その名が王宮に結びつくことがあるからである。逆に言えば、○○宮が存在するということが確かめられれば、その名をもつ王族が存在した可能性がきわめて高いという対応関係をもつということである。

王名と王宮の関係は、名代・子代だけでなく、広く王名全般の検討を行ったうえで、あらためて明らかにされる必要がある。王名から王宮の特徴を明らかにするという手法は、王宮の解明を目的とする研究としては、これまで自覚的に行われたことがないものである。

 

王名が造作された可能性は低い

しかしこの手法には、従来の限界を克服するうえで大きな利点がある。記紀に倭王宮の名が記されたのは、いうまでもなく歴代の倭王(天皇)の宮の名を伝えるという明確な目的のためである。しかしそうであるがゆえに、記紀の倭王宮名は恣意性を排除できないし、実際に造作を含むものとなっている。

王名もまた記紀によって伝えられるが、王名はあくまで王の名を伝えるために記されたものであり、宮の名を伝えるために記されたわけではない。記紀に含まれる以上、王名もまた後世に造作されている可能性は排除できない。

だがすべての王名を一から作り出すような大規模な造作は手間がかかりすぎるし、少なくともそれは宮の名を直接に造作の対象とするものではない。この点で、王名から王宮の特徴を明らかにする手法は、王宮から直接王宮を検討する手法よりも、格段に信頼性が高いといえる。

さらに、5・6世紀代の王名の由来は、記紀が編纂された段階では、すでに失われていた可能性が高い。

たとえば多遅比たじひの(多治比、丹比)瑞歯別みずはわけの名を持つ第18代反正はんぜい天皇について、『日本書紀』は、その歯が生まれながらに一枚の骨のようにそろっていたと記す。『古事記』は、歯並びがそろって珠を並べたようであったと記す。こうした表現はいずれもミズハの意味を説明するためのものであるが、記紀にミツハノメ神(『古事記』は弥都波能売、『日本書紀』は罔象女)という水神がみえるように、ミツハとは実際には水に関わる存在を表す名であった。

反正のミズハワケの名もまた、水利・灌漑かんがいに関わる人物として彼の名が伝わったことによると思われる。記紀の伝承は、当初の意味が忘れ去られた後に、天皇の身体上の特徴をあらわす話として造作されたのだろう。こうした事例からすれば、記紀の王名はあくまでも王その人の存在を——実在したかどうかは別として——伝えるために記されたもので、宮の名を伝えるためにわざわざ造作された可能性は低いといえる。王名から王宮の実態を考えるという新たな方法論は、それなりに有用であるという見通しが得られるわけである。

関連記事