学校は「みんな違ってはいけない」の現状

とかく教育現場では「子ども(児童・生徒)は教師の指示に従えば良い」と捉えられがちです。そして日本社会は、子ども時代から、空気を読み、忖度し、自分の立ち位置を意識することを強要する空気感があります。ある意味、「忖度する主体性」を育もうとしていると言えます。

小学校で「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)を学んでいるにも関わらず、中学校に入ったとたんに、例えば髪の毛のゴムの色は「黒・茶・グレー」と強制し、「みんなちがっていてはいけない」となっています。新型コロナウイルスの影響でマスクが売り切れの中、やっと黒色のマスクを入手できたのに、「白いマスク以外禁止」の中学校。なぜ中学校では「違う」ことが認められなくなってしまうのでしょうか。どうして「中学生らしさ」を強制するのでしょうか。

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なにもこれは中学校に限ったことではありません。私は大学で教えていますが、「質問がありますか?」と学生に問いかけをしても手を挙げる学生がほとんどいないことが多いのです。そして、就職活動になると、皆、同じ服装、同じ髪型になります。失敗を恐れて正解ばかりを求め、教員や周りを忖度し、顔色を窺う。おとな社会でも、国会を含め、忖度によって法解釈までもが歪められてしまっている現状があります。他者と異なっていても、自分が思ったり考えたことを安心して表明できる環境がないから、そして、安心して主張する経験を積むことができてきていないから、周りの目や周囲の評価を過剰に意識してしまうのでしょう。

令和元年版「子供・若者白書」 によると、「自分の社会に満足していますか。」との質問に対して、「満足している」と答える日本の若者は4割を切っていますが、「社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したいか。」に対しては、「そう思う」はわずか10.8%です。「どちらかといえばそう思う」の31.5%を足しても42%しかいません。「自分の社会に満足していないが、社会をよりよくするための問題解決には関わりたくない」。このような主体性が育てられていない状況の背景には、教育現場含めて社会全体に「忖度する主体性」を育む風潮がまん延しているからだと言えるでしょう。

また、国立青少年教育振興機構が2020年に実施した「高校生の社会参加に関する意識調査報告書-日本・米国・中国・韓国の比較-」によると、日本の高校生は、「社会問題は自分の生活とは関係ないことだ」と考えている割合が2割未満で中国に次いで低く、「私個人の力では政府の決定に影響を与えられない」「政治や社会より自分のまわりのことが重要だ」「現状を変えようとするよりも、そのまま受け入れるほうがよい」「政治や社会の問題を考えるのは面倒である」と考えている割合が、いずれも4ヵ国中最も高くなっています。