伝えることの難しさ

こういったことは、何も不特定多数に向けた発信に限らない。ママ友グループでの会話だったり、子供たちとの会話だって、‟伝える”ことであって、そこにはやはり一定の覚悟が必要だ。「そんなつもりじゃなかったんだけど」「えっ。そんな風に受け取る?」なんてことは日常茶飯事で、弁解の機会がある相手であればもう一度説明をしたり、そうでない場合は「なんだか間違えて伝わっちゃったなあ」とモヤモヤを抱えたまま過ごすこともある。

子供たちには、「そんな言い方じゃちゃんと伝わらないよ」なんて注意をすることも多いけれど、実のところ、私だって調子に乗って話を盛っちゃったとか、カーッとなって言いすぎちゃったとかそんな失敗ばっかりだ。

自分のことは棚に上げるって、他人に対してはよくないけれど、子育ての中では仕方がないと開き直っている(「自分の洋服もきっちりと片付けられてないのに、子供にちゃんとお片付けしなさい!っていうのが心苦しい」と母にぼやいたことがあるのだけれど、「それは仕方ないって思うしかないね」と言われました。子供の見本になる立派な大人になりたいけれど完ぺきには程遠く。だからと言って、子供達に何も言えないでいるわけにはいかないのです。私自身も日々精進あるのみ)。

子どもと一緒に日々精進

‟伝える”には、ツールとなる言葉が必要不可欠だ。そして、自分の言葉を会得するには、インプットと共にアウトプットも必要なのだと子供たちを見ていると思う。要するに使わなくっちゃ身につかない。

長男の作文が、‟楽しかったです”の羅列になるのは、彼の中にある‟盛り上がった気持ち”を表現する言葉が‟楽しかった”のみだからだと思う。「本はたくさん読むのに何でかしら」と考えたこともあったけど、本で読んで意味を知るのと、自分の言葉として会得するのは違うのだろう。

せっかく知った言葉なんだからどんどん使ってみて欲しいのに(悪い言葉はすぐに使おうとするのに)、なかなか自然には難しい。だから、普段の会話で少しだけ意識するようにしている。

青木さんお手製のお弁当。提供/青木裕子
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親子だから、「楽しかった」の感想だけでも言い方や表情でその奥にあるニュアンスを察することはできるけれど、もう少し詳しく聞いてみたり、「この間も楽しかったと言ってたけれどその時と比べるとどう?」と発展させてみたり。子どもが嫌がらない程度に、会話を盛り上げるのは、うまくいかないこともあるけれど、成功したら儲けもの。自分の知っている言葉を駆使して、時に間違えながら一生懸命説明してくれる姿を見ると、ほくほくしてしまう。

なんて言いながら、先日次男に「大人ってさ、‟あれ”ってよく言うよね。」って指摘されてしまった。夫に対して「洗濯物、あれしといて」「あれなんだけどさ、来週って…」と言っていたのを聞いていたみたい。うんうん。よく言う。ダメだよね。ちゃんと伝えなくちゃね。また自分のことを棚に上げてしまったとしばし反省。

使わなくっちゃ身につかない、そして、使わなくっちゃ忘れていく。心に刻んで、私自身も日々精進あるのみなのです。