眞子さまと小室圭さんの結婚報道に、露呈したこの国の「自己矛盾」

バッシングに「大義」はあるか
御田寺 圭 プロフィール

三笠宮さまの意見書

まだ書いておくべきことはある。「眞子さまは、こんな身元の怪しい/危うい奴と結婚するべきではない」といった声も、平時の世間の論調とはまったく逆行するものだ。ましてや「親の素性が怪しい者はダメだ」「母子家庭の者はダメだ」などといった言動は、まぎれもない差別であり言語道断だ。

つねづね自由恋愛を称賛し、婚姻に関する親からの支配的な口出しを疎んじて「当人同士が決めて幸せならそれでよいのだ!」と突き返す個人主義的な自由恋愛の風潮を礼賛しておきながら、いざ小室氏のことになれば手のひらを反して、氏の母親の「素行不良」を持ち出し、結婚相手に相応しくないなどと言い出す。これをダブルスタンダードと言わずしてなんであるか。

 

「自由恋愛や結婚に親は介入する権利はない。当人同士の自己決定権の問題だ。法律にもそう記述されている」とか「加害者の家族や親類はその行為とは無関係なのだから、連帯責任のようなムラ的な差別は許されない」などと威勢の良かった人びとはいったいどこにいったのか。いまこそ出番ではないか。

「市民社会が個人主義に基づく自由恋愛を肯定していたとしても、それは一般市民の話であって皇族は別だ」とするよくある反論があるが、これについては故・三笠宮さまの意見書がすべてだろう。自由主義・民主主義・人権思想が肯定される現代日本において皇族にだけ、市民社会に当然に付与されているような権利や尊厳が与えられないのは、それこそ皇族に対する人権侵害なのである――と。

〈私は皇族の婚姻を皇室会議にかける案には抗議を申込む。勅許も削除したい。新民法(案)では婚姻に親の同意さへ必要としなくなつた。当然皇族も同様に取扱はるべきである。皇族だけこの自由を認めないのは皇族の人格に対する侮辱である。(中略)

愛といふものは絶対に第三者には理解出来ないし、又理論でも片付けられないものである。婚姻が不成立の場合でもその原因が当事者のどちらか一方の反対による時には仮令片方の愛が強くても「愛する相手の自由意志を尊重することこそ、即ち相手を最も愛することだ」といつたあきらめも出来るが、それが第三者の而も会議といふ甚だ冷い無情な方法で否決されたら決して承知出来るものではなく、寧(むし)ろ反抗心を燃え立たすばかりで、下手をすると其の本人の一生をあやまらせる原因となるかもしれない。

さういふと「でも其の婚姻の相手が皇族たるにふさはしくない者だつたら困る」といふ人が出てくるであらうが私はそれはその皇族に対する小さい時からの性問題に関する教育なり指導なりが悪かつた最後の結果で、そこ迄に立至つてから結婚して悪いの何のと言ふのは既に手遅れであることを強調したい〉

(日本経済新聞「三笠宮さまの意見書全文」[2016年11月3日]より引用、※太字は御田寺による)
 
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