中国軍機を次々と撃墜…「零戦デビュー戦」を闘った“13人のパイロット”たち

81年前の「9月13日」
神立 尚紀 プロフィール

中国軍機を次々と撃墜

中国・四川省の重慶上空は雲もなく、抜けるような青空が広がっていた。

昭和15年(1940)9月13日。中華民国空軍の精鋭、第四大隊に所属する戦闘機パイロット・徐吉驤(戦後、徐華江と改名)中尉は、空襲に飛来した日本機を邀撃(ようげき)するため、他の戦闘機30数機とともに、重慶と成都の中間に位置する遂寧の飛行場を発進していた。

垂直尾翼に二本線を記した零戦3-165号機は、昭和15年8月19日、零戦初出撃の日には進藤三郎大尉が搭乗し、9月13日の初空戦のさいには末田利行二空曹が搭乗した

中国空軍の編隊はいずれもソ連製戦闘機で、空軍第四大隊長・鄭少愚少校(少佐)が複葉のE-15・19機、楊夢清上尉(大尉)が低翼単葉引込脚のE-16・9機を指揮、さらに第三大隊の雷炎均上尉が率いるE-15・6機が加わっていた。うち1機は離陸早々、機体の故障で引き返している。徐中尉の愛機はE-15だった。

日本軍航空部隊が拠点を構える湖北省の漢口から、蒋介石率いる中国国民政府が首都を置く重慶までは、片道約800キロもあり、航続距離の短い戦闘機が爆撃機の護衛についてくるなどとは常識では考えられない。爆撃機だけが相手なら必ず撃墜できる。

――これは、中国空軍パイロットに共通した認識であった。

 

だが、この日午前11時42分(日本時間午後1時42分)、徐中尉たちが重慶上空に到着したときにはすでに日本機による爆撃が終わり、機影ははるか彼方へと遠ざかりつつあるところだった。そのまま約20分にわたって重慶上空を哨戒飛行を続け、12時(日本時間午後2時)、遂寧に戻ろうとしたまさにそのとき――。

「突然、日本の戦闘機がわれわれの編隊の上方から襲いかかってきた。1機は上空から射撃をしてきて、別の1機は私の飛行機の後下方、距離1000メートルから急接近して腹の下の死角から突き上げてきたと思うと、さらに高速で前方に飛び去った。あまりのスピードの速さに、反撃のチャンスもなかった」

と、徐は私のインタビューに応えて回想する。日本機はこれまで見たことのない低翼単葉引込脚の戦闘機で、これまで中国空軍が相手にしてきた、主脚が出たままの海軍の九六式艦上戦闘機や陸軍の九七式戦闘機とは全く違うスマートな姿が、目に焼きついた。

「日本機のほうがはるかにスピードが速く、われわれは編隊の外側から包囲され、どうすることもできない。みんな左旋回で逃げようとするが、敵は簡単についてくる。私たちにはなすすべもない。日本機の攻撃はなおも続く。われわれは必死で逃げまわりました」

味方の中国軍機が次々と撃墜されていくのを目の端に捉えながら、徐は必死に日本機の攻撃から逃れようとした。唯一の望みは、ここが中国空軍のホームグラウンド上空であることだった。日本機は、燃料を使い果たせば基地に帰ろうとするだろう。そこで反撃に転じれば、有利に戦えるかも知れない。これは「以逸待労」(逸を以て労を待つ。敵が疲れたところで攻勢に転じる)と呼ばれ、中国の「兵法三十六計」で古くから伝えられる戦法である。だが、日本機の攻撃は一向にやむ気配がなかった。

「最初の10分間で5~6回攻撃され、潤滑油タンクにも穴を開けられた。漏れたオイルで風防ガラスが汚れ、前が見えなくなった。仕方なく、横から顔を出して見ながら応戦した。まもなく油で飛行眼鏡も見えなくなり、眼鏡をかなぐり捨てて戦い続けた。上下の主翼の張線が、音を立てて次々と切れはじめた。背後の防弾板が撃たれ、機体は大きく振動した。私は、弾片で頭と両足に傷を負った。さらに10分後、排気管から黒煙が出て焦げ臭い臭いが鼻をついた。空中に味方機を探したがもはや1~2機しか残っておらず、頭上を飛ぶのはすべて日本機ばかりでした」

戦場を離脱しようと試みたがもう遅かった。日本機が2機、追尾しながら撃ってくる。徐はふたたび戦う決心で戻ろうとし、向かってくる日本機に射撃を加えたが、被弾のため、すでにエンジンは力を失っていた。眼下に高い山の頂上が見える。まだ相当高度がある。降下しながら猛烈な回避運動をする。次第に高度は低くなった。前方には山が一つ、その下に小川がある。川を越えると平らな地面がない。

最後の力をふり絞ってもう一度、機首を引き起こし、かろうじて平地に回り込むと、徐は、眼下に見えた田んぼに、墜落に近い状態で突っ込んだ。飛行機は潰れたような形に壊れたが、徐は重傷を負いながらも奇跡的に助かった。

徐中尉機は水田に墜落、大破。徐中尉は重傷を負ったが命に別状はなく、持っていたカメラで愛機の残骸を撮影した。写真は横倒しになった胴体の操縦席側からのアングルである

「上空を1機の日本機が、勝ち誇ったように旋回していた。私はしばらく壊れた飛行機の陰で様子をうかがっていましたが、その日本機は近くの土手に機銃弾を浴びせると、東の空へ飛び去っていきました。ふつう、燃料の都合もあり空戦の勝敗は数分で決するが、時計を見ると、空戦時間は30分を超えていました。日本機がいなくなったのを確かめて、持っていたカメラ(ドイツ製レチナ)で、愛機の残骸を撮影しました」

――この日、中国空軍の戦闘機を翻弄し、一方的な空戦を繰り広げたのが、日本海軍に制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(略称・零戦〈れいせん〉)である。

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