テロで肉体は奪えても、心は奪われたくない

我々被害者家族にとって一番大切なのは報復ではない。暴力などでは決してない。
暴力では何も解決しない。暴力で返せば更なる暴力が返ってくるだけ。

どんなに辛い想いを受けようと、憎しみの中に留まって、恨みが充満した日々に身を置き続けるのではなく、幸せを感じる自分を取り戻す。すべてを失ったかのように感じていても、実は小さな幸せはそこここにあるもの。それに気づいて感謝できれば、人は前を向いて歩いて行ける。そして幸せを感じるココロを取り戻したら、今度は家族や周りの笑顔を取り戻すことを目指して生きていく。

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テロ行為で肉体は奪えても、ココロまで奪えるとは限らない。

そう、ココロは奪われてはいけない。ココロまでテロリストに支配される必要はないのだ。どんな攻撃を受けようとも、ココロは自由で希望を失わずにいること、それが一番大切なことなのである。
20年経ってもなおこの想いは変わらないし、この想いを胸にこの20年子供たちを育て、自身の人生を歩んできた。そう立派な人生ではないかもしれないが、子供たちが健やかに成長し、わたし自身も紆余曲折はあったにせよ、こうして生き甲斐を感じて好きな仕事をし、沢山の良い仲間に囲まれ幸せを感じて今を生きている。この事実が、この想いは間違っていなかったことを証明してくれているように思う。

この考えを象徴する、1年目の9月11日を記す手記にこんな一節がある

“9月11日の忌まわしいイメージにつきまとわれがちなこの日を、うれしそうにアイスクリームを食べる子供たちのほほえましい姿で、バラ色に塗り替える。これこそが、無力ではあるが一市民であるわたしたち家族のテロへの抵抗。テロになんかつぶされてたまるかという、小さいながらも精一杯のアピール

憎しみにとらわれるのではなく、3人の子供たちと、日々を楽しく生きること。それこそが、テロへの抵抗。晴美さんはそう感じていた 写真提供/杉山晴美

テロ事件後しばらくは、まだこういった私の考えは受け入れてもらえない場面も多くあった。

なんでそんな弱気なんだ、テロには毅然とした態度で臨むべき。武力行使も辞さないと、日本もまた当時の小泉首相はアメリカの強気な姿勢に賛同し、イラク戦では自衛隊を派遣した。何かにつけにつけ「毅然とした態度、テロには屈しない」という言葉を、世界は引き合いに出して戦争を正当化していたが、わたしだって私なりのやり方で、毅然とした態度でのぞんでるわい! テロになんか屈服したつもりないわい! とあの頃よく憤慨したものだ。 

そうして911事件以降、アフガン攻撃、イラク戦と続き、さらには悲しいテロ事件が各国で起き繰り返されていく。