明治時代に「sex」はどのように日本語に訳されたのか、という問題

「性」の近代日本誌(3)
斎藤 光 プロフィール

もうひとつ例を挙げておきましょう。英語の「testes」です。これは複数形ですね。単数形は「testis」です。千葉は、「睾丸」(『造』・『通』)という漢語を対応させています。ルビでは「きん」とあり、これも和語ではないでしょうか。「きんたま」の「きん」、「きんてき」の「きん」でしょう。

ここも口語とのつながりを感じさせます。現在では「睾丸」あるいは「精巣」と訳すのがいいのではないでしょうか。「金玉」という訳語が用いられる場合は稀でしょうね。このあたりデータがあれば面白いですし、なぜその定訳が確立するのかも興味深い問題です。

ということで、二つ目の重要な意味は、明治初期の「性」をめぐる言葉と知識における「漢語系」のシステムと「和語・俗語形」のシステムの対応と異同を考える一つの手がかりとなりそうだ、ということなのです。この言葉におけるシステムが、社会における性システムの構造と関係してはいないか。関係しているとすれば、どのように関係しているのか。例えば武士の性実践と町人の性実践、農民の性実践の異同や差異とつながっている可能性はないか、と空想してみたりするわけです。

 

「性」という漢字について

「性」にかかわる言葉を考えていくときの『造化機論』の重要性のうち二つ目についてついつい長く説明してしまいました。一つ目は、あまり見ていませんね。今回のエッセイの残りの部分は、そこについてのお話を展開したいと思います。

まず、「性」という漢字を考えてみましょう。

そもそも、ここでのエッセイは「「性」の近代日本誌」という題にしていて、「性」という漢字・記号を使っています。たぶん、皆さんは「性」という漢字に違和感はないと思います。「性」という漢字があるので、セックス関連である、と考えたり、もしかして「エロい」話があるのでは、と思ったりするのではないでしょうか。

「性」という漢字が、英語系のセックスに対応している、という了解は、現在の漢字文化圏では共有されていて、ここでつまずくことはありません。しかし、『造化機論』を読んでいくと、セックスという意味での「性」に出会うことはないのです。

The Book of Natureの英文中に「sex」や「sexual」とあるとき、『造化機論』ではどういう翻訳がなされているかをすべてチェックすると、セックスという意味での「性」が不在である、ということはわかるのですが、かなりめんどくさい作業なので、いくつか代表を取り上げて大雑把に検討しておきましょう。

The Book of Natureでは、27頁から「Causes which determine the sex of a child.」というパートが始まります。『造化機論』はこのパートを「第6条」として次のような表題がつけられました。つまり「胎児ノ男女ヲ論ス」です。目次では「胎児男女ノ論」となっています。

参考までに『通俗造化機論』を見ると、目次と本文ともに「胎児はらのこ男女をとこをんなあるろん」となっています。

「Causes which determine the sex of a child.」をいま邦訳するとすれば、「子供の性を決定する諸原因」となりますよね。

ここからは、次のように推定できます。訳者の千葉繁は、The Book of Natureの「Causes which determine the sex of a child.」という文の「the sex」を「男女」という漢字で把握したのではないか、ということです。今だと、たぶん中学生でもこの「the sex」を「性」という漢字で置き換えそうですが、それとは異なる翻訳作業を千葉は行ったのではないでしょうか。

当時の華英辞典(中国語英語辞典)などでは、「sex」に対して「男女」「男女之別」という漢字訳を当てていました。従って千葉は、当時の文脈としては正確に作業を進めたことは間違いありません。

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