「親ガチャ」という言葉が、現代の若者に刺さりまくった「本質的な理由」

若年層に拡がる宿命論的な人生観
土井 隆義 プロフィール

今日では、さまざまな局面で多様性が尊重されるようになり、かつてより自由な生き方を選択しやすくなった。にもかかわらず、人生は自由になるという感覚にブレーキがかかっているとすれば、近年の経済格差の拡大やその固定化が理由の一つと考えられるだろう。親ガチャという言葉が使われるようになった背景にもそれがあった。

また同調査には、勤勉に働いても人生に成功するとは限らないと思うかと尋ねた項目もある。統計数理研究所の「日本人の国民性調査」と似た設問だが、日本のデータを見ると、そう思う人は2000年代に入ってから若年層を中心に急増している。裕福な家庭かどうかで受けられる教育は大きく違うため、それが自分の人生を左右すると考えてもおかしくはない。

しかし、親ガチャという言葉の含意をここで再び想起してみたい。そこで嘆かれていたのは、人生の運不運ではなく、出生の運不運である。ガチャのレバーを引いた時点で結果はすでに出ている。これからの人生を運次第と捉えているわけではない。これから運不運が分かれるのではなく、もうすでに決定されていると感じられているのである。

人生をすごろくに例えることは従来からあったが、親ガチャがそれと決定的に異なるのはこの点である。そこで問題視されているのは、これからの時間ではなく、これまでの時間である。換言すれば、「獲得属性」ではなく、「生得属性」に目が向けられているのである。

 

親ガチャの落とし穴

学生たちの会話にしばらく耳を傾けていると、身長ガチャ、容姿ガチャ、顔面ガチャといった言葉も結構な頻度で聞こえてくる。いずれの言葉も、生まれもった身体特性を対象にしている点に共通性がある。

じつは親ガチャにも似たような面があって、生まれた家庭が経済的に裕福かどうかだけではなく、頭の善し悪しや才能もそこには含まれている。それらを親からの遺伝で決まる生得的な資質と捉え、自分の人生を規定する大きな要因とみなしているのである。ここから推察されるのは、生まれつきの資質や属性によって人生は規定されると考える若者が増えているという事実である。

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