2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで、当時NYに駐在していた夫・陽一さんが犠牲となってしまった杉山晴美さん。当時3歳と1歳の男の子に加え、お腹の中には新しい命も宿っていた。

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2002年3月11日に、陽一さんの忘れ形見・想弥くんが誕生し、時を同じくして遺体の一部が見つかってお別れ会をアメリカで行った晴美さん。2002年夏に帰国し、3人の子育てで必死に走ってきた。その途中、母ひとり娘ひとりで育ってきた晴美さんの母・百合子さんが上顎がんになってしまう。

晴美さんは「子育てを人生のすべてにせず、自立しよう」と考えていた。自分のやりたいこと。それは、自身も重要性を感じていたメンタルケアや、人に居場所を作ること。そうして精神対話士の資格を取り、多くの人の居場所にすべく、イタリアンバール「晴ればーる」をオープンさせる。多くの人の居場所になった「晴ればーる」。イタリアンが大好きな百合子さんのお誕生日祝いも、そして百合子さんが2017年に天国に旅立ったときのお別れの会も「晴ればーる」ですることができた。

2017年、1月の誕生日に「晴ればーる」でお祝いした直後に脳梗塞で倒れた母・百合子さん。闘病ののちに7カ月後、天国へ旅立ち、「晴ればーる」でお別れの会を開いた 写真提供/杉山晴美

しかし飲食店経営は簡単ではない。再度メニューややり方も見直して、5周年を盛大に迎えよう、そう考えていた矢先に、新型コロナが世界中を襲ったのだった。
 
911から20年経つ今年、あの日を忘れてはならないと晴美さんが綴る連載20回目前編では、「晴ればーる」のテコ入れをしようとしていた矢先にコロナに直面したときのことをお届けする。

杉山晴美さん連載「あの日から20年」これまでの記事はこちら
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4月に5周年を迎える予定だった

「ここに来ればこころが晴れる」そんなキャッチフレーズで多くの方の温かな居場所となっていた晴ればーる。2020年の4月21日には5周年を迎えるはずだった。

50歳にして初めて挑んだ店舗経営はけして簡単なものではなく、お店は賑う日もあれど、常に右肩上がりの収益を上げることは難しい。友人知人を中心に応援いただき、なんとか踏ん張ってきた5年間。この5年をたたき台にしてメニューや価格帯を見直し、更なるサービスの向上を目指してプチリニューアルを図り、まずは今後また5年お店を維持し、60歳の還暦までは頑張ってみようと目標を立てていた。

周年パーティーの構想も早めに考え、そこでプチリニューアルのお披露目をしよう、などと2020年年の年明け早々からスタッフとも話し合った。リニューアル後の7月にはオリンピックも開催される。東京は更なる賑わいをみせるだろう。

店は東京のど真ん中、千代田区の皇居にほど近いオフィス街にある。普段はサラリーマンばかりのエリアだが、皇居を訪れる観光客も増えるかもしれない。春には皇居千鳥ヶ淵の桜も咲く。春から夏にかけ人出も増え華やかな一年になるに違いない。そう気持ちは前向きに弾んでいた。

そんな最中「新型コロナウイルス感染拡大」のニュースが流れ始めた。1月23日に乗客からコロナ感染者が出たという、ダイヤモンドプリンセス号の事例を聞き、いったい何なのだろう? と得たいのしれない不安に襲われた。船上で感染し、突然症状が悪化して亡くなられた方の話は、とてもショッキングなものであった。とはいえまだまだこの頃は、日本国内ではそこまで蔓延することはなかろう、何とか水際でくいとめられるのでは?と思い、ホームページのリニューアル作成など、5周年に向けての準備を予定どおり進めていた。