2021.09.06
# 美術・建築

「タリバンよりも残酷」だった? 明治維新の「廃仏毀釈」はタリバンの「大仏破壊」とどう違うのか

「大仏破壊」の悪夢再び?

アメリカ合衆国のアフガニスタン駐留軍撤退に端を発するタリバンの反攻は、首都カブールを制圧したことにより、全土で実権を握ることがほぼ現実のものとなった。

タリバンは1996年からアフガニスタン国土の4分の3を掌握し、イスラム原理主義にもとづく政策を強引に打ち出した。その典型的かつ過激な政策のひとつで、イスラム圏以外の人々を最も驚かせたのが、2001年に起こったバーミヤンの大仏に対する破壊行為である。

この石造大仏は、2、3世紀頃からアフガニスタンの地に栄えた仏教文化を象徴する遺産であり、世界に誇るものだった。暴挙からちょうど20年、タリバンによる再度のアフガニスタン掌握は、多くの人々にこのときの悪夢を思い出させ、また同様の事態が繰り返されるのではないかという不安が渦巻いているのである。

日本でもSNS上などでそうした声が高まっているが、タリバンによる「大仏破壊」をわが国の明治維新に起こった出来事と重ね合わせてみる向きも少なくない。その出来事とは「神仏分離令」を端緒に全国各地で発生した、寺院・仏像に対する破壊行為、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」にほかならない。

大仏破壊後のバーミヤン[PHOTO]gettyimages

神道国教化を目指した「神仏分離令」

1868年(慶応4年・明治元年)、二百数十年に及ぶ幕藩体制に終止符を打った明治新政府は、天皇を頂点とする神道国教化を目指し、千年以上にわたって継続してきた「神仏習合(神道と仏教の融合・混交)」状態の解消を目的とする「神仏分離令」を発した。神仏分離令は「神仏判然令」ともいい、1868年4月5日から同年12月1日までのあいだに相次いで出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達などの総称である。

その内容は、神社に仕える僧形の別当・社僧(神社に奉仕する仏教僧侶)に対し、僧侶であることを捨てて俗人に戻ること(復飾、還俗)を命じ、「権現(ごんげん)」など仏教用語を掲げる神社を調査し、仏像を「ご神体」にすることを禁ずるなどだった。

 

神仏分離令は、神仏判然令ともいわれるように、その目的は「神」と「仏」を明確に分離すること、つまり神社から仏教的要素を排除し、また神と仏の境界上にあり、神とも仏とも断定できない“曖昧な”信仰対象を、神道と仏教のいずれかに帰属させることだった。

しかし、一連の布令・通達を「仏教排撃」であると捉えた(あるいは意識的にそのように解釈した)水戸学や平田派国学(いずれも「尊王攘夷」の理論的支柱ともなった国粋主義的な神道解釈が特色)を信奉する神職や地方官僚らが、仏像・経巻・仏具の破壊や焼却する「廃仏毀釈」に及んだのである。

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