2021.09.03
# 野球

「バッター・松井秀喜vsピッチャー・イチロー」世紀の球宴対決が、直前で消えた事情

プロ野球・裏面史探偵(9)

多くのファンが期待した「幻の対決」

1990年代を代表する名将である仰木彬と野村克也には共通点があった。マスコミには常に好意的で、話し始めると予定の取材時間をオーバーすることもしばしばだった。その背景にあったのが「パ・リーグ育ちの悲哀」(野村)。仰木も同じようなことを口にしていた。野村は戦後初の三冠王に輝いた南海の看板選手。一方の仰木は“野武士軍団”と呼ばれた西鉄の名バイプレーヤー。

しかし、この時ばかりは激しく対立した。1996年7月21日、オールスターゲーム第2戦。舞台は東京ドーム。オリックス監督の仰木は全パ、ヤクルト監督の野村は全セを率いていた。前年の日本シリーズは野村ヤクルトに軍配が上がった。

スタジアムがこの日、一番の盛り上がりを見せたのは、全パが7対3で迎えた9回表二死の場面。打席には全セの6番・松井秀喜(巨人)が向かった。

元ジャイアンツの松井秀喜選手[Photo by gettyimages]
 

ここで仰木がベンチを出る。「ピッチャー、イチロー」。このプランを仰木はオールスター前から温めていた。

周知のようにイチローは高校(愛工大名電)時代、ピッチャーとして甲子園出場を果たしている。プロに入って外野手に転向したが、まだストレートは140キロ台後半を維持していた。

困ったのは野村だ。松井に歩み寄り「どうする?」と声をかける。松井がぶっきらぼうに「どちらでもいいですよ」と答えると、「なら代われ」と言って、代打にピッチャーの高津臣吾(ヤクルト)を送った。結局、高津はショートゴロ。試合後、野村は憤懣やる方ない表情で、こう語った。

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