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江戸時代から都市長崎に受け継がれる、遊女のマッチングシステム

外国人と共にあった長崎の歴史
明治時代、長崎港に立ち寄った多くの外国人士官、商人たちは、期限のある契約結婚をして長崎の娘と暮らしたが、短期間のうちに相手を探すことはそう簡単なことではない。その裏には、遊廓と共にあった都市長崎に特有の、江戸時代から続くマッチングシステムの存在があった――。
長崎の丸山遊女に対する新たな視点を提起した最新刊『長崎丸山遊廓 江戸時代のワンダーランド』の著者・赤瀬浩氏が、外国人士官と長崎娘の悲恋の歴史を紹介します。
 

長崎のマッチングシステム

明治18(1885)年、フランスの軍艦「ラ・トリオンファント」が修理のために長崎港に寄港した。

同船の海軍士官ジュリアン・ヴィオーはその1か月間を利用して日本の娘と結婚し、その様子をもとに小説を書いた。ヴィオーの筆名はピエール・ロチ。小説は邦題『お菊さん』という。

このロチの結婚は、乗艦の修理が終われば別れるという、期間が定められた契約結婚であった。

他にも同艦の士官4人が長崎の娘と結婚した。当時は長崎港に立ち寄った多くの士官、商人などが同様に期限のある現地妻として、長崎の娘と暮らしたものと思われる。

短期であっても、相手を探したり住まいを決めたりするのは簡単なことではない。何よりも、情報がなければ物事を進めることはできず、水兵のように遊女屋で一夜の愛を交わすのが精一杯であっただろう。

『お菊さん』の記述に従うと、ロチたちは現地の娘を手に入れるルートをあらかじめ知っていた。そして半信半疑のままその情報通りに行動すると、実際に短期間で「菊(クリザンテーム)」という娘を手に入ることができた。

この情報ルートこそが、江戸時代の長崎で発展したマッチングシステムである。

マッチング業者「勘五郎」

ロチは雨の中、港に上陸すると1台の人力車を雇い、郊外の「百花園」という場所まで走らせた。百花園ではロチの目的を察し、指名された「勘五郎」を呼んだ。勘五郎はマッチングシステム業者の一人として、フランス海軍には有名な人物だったと思われる。

洗濯屋の職も持つ勘五郎だがフランス語ができ、イギリス士官やロシア士官とも商売するなど斡旋屋も兼ねていた。

彼は長崎の妙齢の女性を把握しているだけでなく、他都市から長崎にやって来る若い娘の動向までも知っていた。情報の太いネットワークを握っていたのである。

こうしてロチたちは長崎娘と結婚したが、すぐに飽き、1カ月の時間を持て余すことになった。娘たちは一様に、体は自由にさせても心は開かず、意思の疎通を拒んでいた。

彼女たちは、心を通わせれば1月後の別れがどんなにつらくなることか、周りの大人たちから聞かされていた。ドライに対応することで、別れで傷つかないように我が身を守っていたのである。

以前から港々で現地女性と情愛を通じ、ネタとして取り上げてきたので、ロチ自身も、今回も割り切った結婚のつもりだった。だが、それでもお菊さんや長崎のまちに惹かれていく自分を徐々に抑えきれなくなってゆく。

逆に、「小さい」、「醜い」、「猿のようだ」など、長崎のまちや住民をことさらに蔑むことで、ようやくお菊さんと長崎のまちに別れを告げることができたのであった。

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