メンタリストの炎上発言に「非難」だけでなく「自省」で臨むべき理由

あの言葉は「原因ではなく結果」だから
御田寺 圭 プロフィール
“私たちは「やさしくしなければならない対象」に対してはやさしいが、そうでない対象にはとことんまで冷たい。”

“人は「やさしさの不在」ではなく「やさしさの偏在」によって深く傷つく。時として「やさしさ」が自分に与えられないことを恨む。”

(筆者記事「回復した京アニ放火容疑者は、なぜ『優しさ』についてまず語ったのか」より)

私たち人間には、たしかに慈悲の心がある。だがその慈悲は、万人に対して平等であるわけではない。対象を慎重に慎重を重ねて吟味し、自分の「やさしさ」「愛情」という限りあるリソースを提供している。だから、「慈悲を与える対象」を人それぞれの自由意思や人情にまかせていれば、やがて慈悲を多く集められる者と、ほとんど慈悲を向けられない者に二極化していくのは自明のことだ。

 

人間の慈悲や人情は、それを与えられる者にとっては暖かい「やさしさ」や「愛情」の象徴である。しかし、その対岸にいる者にとっては、冷酷な疎外として映るかもしれない。

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