なにか大きな悲しみに出会った時に心が深く傷つく。その心の痛みからどのように立ち直って行くのかは、人によっての違いもあるかもしれないが、大きな支えになるのがメンタルケアだ。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで夫の陽一さんが犠牲となってしまった杉山晴美さんは、このメンタルケアの重要性を身をもって感じたという。アメリカでメンタルケアのサポートを受けたのちに4歳、2歳、0歳の子を連れて帰国し、日本ではアメリカほどにはメンタルケアが充実していないのではないかということも感じていた。

テレビの画面を通じてショックな画面を見たその瞬間のことは、晴美さんでなくても忘れられないだろう Photo by Getty Images

そんな中、母子家庭で育った晴美さんの実母のがんも発覚し、3人の子育てと母の病気との間で多忙をきわめたが、実母はがんを克服。2017年に天国へ旅立つまで、晴美さんと孫3人と密接に暮らすことができたという。

そのあとに晴美さんが考えたのが、「子供に依存したくない」という思いだった。子育てをしっかりしたい思いはあっても、それがすべてになっては子供に依存してしまうのではないか。そんなときの「自分の人生を生きる」ために目指したのが、自身も救われたメンタルケアを学ぶことだった。

20年前のあの日を忘れてはならないと晴美さんが綴る連載「あの日から20年」、18回目の後編は、子供に依存したくないと思いながら、実母のがんが発覚したときのことを伝えた前編に続き、実際行動を起こしたときのことをお伝えする。

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メンタルケアの資格を取る

精神を患っていたり、逼迫した深刻なメンタル状況にあらずとも、気持ちを気軽に吐露できる、縁側でお茶をのみながら悩みを語れるような、そんなイメージのメンタルサポートはできないものか……といった想い。いつしかそれが自分の目指すものとなり、長男が中学に進学するタイミングで、民間の公認資格ではあるが、とあるメンタルケアの専門職の存在を知った。

アメリカでの経験からメンタルケアの重要性を知ったとはいえ、わたしは大学も畑違いの専攻で心理学の知識も、カウンセリングの経験も全くない。子供たちも大きくなったとはいえ、小学生と中学生。まだまだ手がかかる三人を育てながらでは、一からそこを学び進める時間も余裕もない。
が、わたしがそもそも目指していたところは、精神科や心療内科の医療の領域ではなく、もっと身近に話を聴く場であった。

「病名のつく病気だったり、なにか極端なメンタルの症状が出たとかではなくても、不安だったり悲しみだったり、そんな話を気軽にできる場が無いかしら、そんな方たちの話を聴く、仕事じゃなくてもボランティアでもいいので、何かないかな?」

そんな話を友人にしていたら「この精神対話士って資格があるけど、これがまさに探してるものなのでは?」と教えてくれた。
早速調べてみたら「孤独感や心に痛みを感じている方に寄り添い、温かな対話を通して気持ちを受容、共感し、再び希望を持って生きていくことができるよう、心の支援を行う専門職」とのこと。これだ! と思った。

基礎講義も2ヵ月間日曜日に全15講義を受講し、その後ロールプレイなどで実践を学び、最終的にレポート提出や面接を経て取得できるとのこと。これなら私のような子育て中の身でも、無理なく学ぶことができると感じ、即申し込み勉強を始めた。子供たちも、わたしが週1回日曜に丸一日中家を空けることに、さして不便も感じないようで、頑張って! と応援してくれた。
そして2010年年末に無事資格を取得。自分の人生を歩むなどとはまだまだほど遠いものではあったが、まずは第一歩歩み出すことができた。

毎週日曜日は母親は勉強で丸一日いない。中学生の長男を筆頭に、子供たち3人が背中を押してくれた(写真はイメージです)Photo by iStock