愛する夫がテロに巻き込まれて天国へ旅立ってしまった。3歳と1歳、そしてお腹の中の子供を残して――。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでそんな状況に直面した杉山晴美さん。行方不明の夫を探し行動をしていた矢先、切迫早産で絶対安静になり、絶対安静を命じられた日々。子供に陽一さんのことを伝えた夜、日々の生活、2002年3月11日の出産。その直後に陽一さんの遺体の一部が発見され、アメリカでお別れの会を開催し、日本に帰国した。その晴美さんを支えたのは、夫の陽一さんのためにも、子供たちのためにも、「3人の子供たちをきちんと育てる」という覚悟だった。

それから20年経とうとしている今、晴美さんが「あの日を忘れてはならない、あのような悲しい事件を再度起こしてはいけない」という思いで綴る連載第18回は、2002年の夏に帰国してから、前に進むために晴美さんが日々の子育てや生活をする中感じたことをお届けする。

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子供に依存してしまうのではないか

事件後、わたしの最も重要なミッションは言わずと知れた子育てではあったが、それについてわたしの中に小さな不安もあった。
それは、どんなものかというと……子育てに命をかける! 子育てが全て! と、それをまさにミッションインポッシブルのトム・クルーズのごとく遂行し続けたら、わたし自身が“子育て”というものに、そして子供たちに依存するようになってしまうのではないか、というものだ。

2001年夏、9月11日の直前、子供たちをプールに入れる陽一さん 写真提供/杉山晴美
陽一さんんの分も、自分が絶対大切に育てる――2002年、陽一さんが子供たちを入れていた同じプールに、新たに生まれた想弥くんも一緒に入る晴美さん 写真提供/杉山晴美

子育てに一生懸命になるのはよいのだが、子育てが、夫を失った悲しみや事件のショックからの逃げ道になってしまってはまずい。そうなると将来子供たちの重荷になりかねない。
巣立ちを迎えたとき、羽ばたきにくくなってしまう。

ここは母親としてだけではなく、一人の人間として志をもって、やりがいのあることを見つけ、自分の人生を歩みたい。子供たちが安心して外の世界へ出ていけるよう、わたし自身がまず自立していたい。

そこをしっかり自覚しておかねば! そう自分に言い聞かせつつも、子供たちが小さかった頃は、なにしろ手が足りない。わたしの住む地域では、当時保育園の空きが本当に少なく、状況を説明し相談したものの、帰ってきた回答は「三人別々の保育園でよろしければ全員入れます」。って、えー?! それはひとり親には送迎不可能、断られたも同然。幼稚園にお世話になりながらも、ママ友たちの助けを借りて、日々の生活をするだけで必死だった。