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# 緩和ケア # 医療 # 立ち読み

「逝くためのボタン」は持つべきか……最期を迎えるための人生観とは

自分らしく生きるための「ケア」の未来
人生100年時代に突入し、超高齢社会になった日本。これから「安楽死」に関する議論も活発になっていくだろう。どのように生き、どのように逝くかを支え、人生を豊かにする医療=「早期緩和ケア」を実践する緩和ケア医は、「安楽死」をどのように考えるか。
ベストセラー『死ぬときに後悔すること25』の著者にして緩和ケア医である大津秀一氏の最新刊『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』で描かれる、最期を迎えるために「より良く生きる」ための人生観とは……。

2つの価値観

自分らしく人生を生きたい、その願いの意味するものは人によって異なるでしょう。こと人生の最期に関係することは、人によってそれぞれ意見が割れるものです。例えば、自分の人生の最期は自分で終止符をうちたい、だから安楽死を認めてほしいという考え。

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あるいは、そうはいっても生命の終わりは自然に委ねたい、特にがんなどの場合は、最期は自ずと訪れるのだから、人為的に早める必要はないという考え。早めてしまってはまるで自死をするようにも思えるので、それは厭われるという考え。

緩和ケアに期待することも人によって異なります。緩和ケアはその人が望むことを最大限叶えようとするものなのだとしたら、安楽死も認めるべきだ、あるいは積極的に実践すべきだという考え。一方で、緩和ケアは「より良く生きるため」のケアなのだから、死なせることを第一とするケアは含まれないのではないか、という考え。

興味深いことに、欧州でも安楽死を許容していない国の緩和ケアは、後者の立場に立っています。あくまで私の意見ですが、安楽死などは法制度上の問題で実行困難なだけであり、技術的には誰でも行えるものでしょう。

そのため、私は非ベネルクス国を中心とした、緩和ケアはあくまでより良く生きることに主眼をおいてサポートするという考えに賛成です。法制度として認められれば、プロトコール(手順)通り行えば、死なせることは誰でもできるので、それならば緩和ケアだからこその内容とは言えないと考えるためです。

また、鎮静を適切に実施すれば、最期に苦しむ時間を少なくできるということを知っていることとも関係しています。鎮静があれば、絶対に安楽死でなければ苦痛緩和できないかというとそんなことはないからです。

一方で、今すでに安楽死が認められている国で次第に俎上に載せられてきているのは、これまでのように病気などで見通しが不良で、そのために死を望むという人だけではなく、例えば非医学的「実存的苦しみ」「人生の疲労」などに苦しむ健康な高齢者を含めるかということについてです。

オランダでもそのような動きがありますし、不治の病でもないのに38歳の女性が安楽死させられたとしてベルギーでは裁判も起きたようです。オランダでは55%が、安楽死は「人々が健康でありながら疲れている場合に」利用できるはずであると考えており、一方で32%がこれに反対しているとのことです。健康だけれども人生に疲れたから安楽死がOKとはいかにも前衛的です。

もっとも、日本でもツイッターなどを見ていると実に様々な立場が存在するので、このような安楽死を許容したり、拍手喝采したりする人もいるでしょう。ただ確かに、加齢とともに、機能障害が起きてきてしまった場合などは、生きることに難儀を自覚することもあるでしょう。

その際に、自ら別れを告げて旅立てる、そのような安楽死に希望を持つ人もいるのは事実ではありましょう。そして自分らしく生きたい、という希望が死ぬ時期まで拡張されれば、最期を安楽死で迎えたいと思う方が出てくること自体は不思議ではないでしょう。

一方で、実に興味深いのですが、インターネット上ではしょっちゅう「安楽死はよ」「安楽死制度導入を!」などの勇ましい発言が散見されます。しかしそれが大きなムーブメントになることもまたありません。もちろん私が知らないだけなのかもしれませんが。

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