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祭りの解放感の中で豹変する、「温和な長崎人」の隠れた地金とは?

地域の人々を養った丸山遊女たち
「長崎くんち」や「精霊流し」の解放的な空気の中で、長崎の人々は日ごろの温和さから豹変し、隠された一面を垣間見せる。それらの祭りと、江戸時代にまで遡る長崎人の「地金」とは、丸山遊女たちとどのような繋がりを持っているのか?
長崎の丸山遊女に対する新たな視点を提起した最新刊『長崎丸山遊廓 江戸時代のワンダーランド』の著者・赤瀬浩氏が、長崎の熱狂的な祭りと、遊廓社会の価値観を論じます。
 

祭りが「地金」を浮き上がらせる

長崎には、街そのものが江戸時代に戻ってしまう不思議な時間がある。

盆の精霊(しょうろう)流しと、秋の大祭長崎くんちである。

祭りは、全国どこでも街をあげて盛大におこなわれるものではあるだろう。それでもあえてこう強調するのは、長崎では祭りになると、江戸時代の住民かと錯覚するような人々の言動、のみならずある種の狂気すらも垣間見せるからである。

まさに祭りは長崎住民の「地金」をリアルに浮き上がらせる機会である。

長崎の人々は、一般的にいたって温和である。特に旅人や転入者の来訪を喜び歓迎する空気は街の隅々に満ちている。働き者ではないが明るく楽観的で開放的――そう言ってもよいだろう。

では、祭りにあらわれる、その「温和な長崎人」の地金とは、何か。

端的に言えば、「男気を見せる男衆と、その男気に惚れる女衆」、「湯水のごとく蕩尽される貯蓄」である。

どこの祭りでも、ハレの日の行動は日常とは異なったものになるだろう。しかし長崎では、日ごろ隠されていた裏面がさらけ出されるという意味で、日常との落差がどこよりも極端である。

江戸時代の長崎町人の姿

江戸時代、長崎の住民はほぼ全員が町人。武士のように見える地役人も町人だった。職階によって貧富の差は極端だったが、身分的には町年寄も裏店の借家人も異なることのないフラットな社会だった。

その上に江戸から派遣された少数の武士が支配層として存在し、鍋蓋型の社会構成をなしていた。つまり、長崎の住民は一皮むけば同質で一蓮托生な人々であった。

小金をためて地所を購入すれば、町の正式構成員である「箇所持」という身分になれる。そうすれば祭りで紋付袴を着用できた。

しかし地所を売れば、たちまち借家人に転落する。たとえ町年寄であっても失業して地所を失えば、長年の借家人と少しも変わることはなくなるのである。

この、何も持たない無産の長崎町人の姿こそが、現代の祭りを通してあらわれる、長崎人の地金である。そしてその地金がどのように構成されているか見ることで、都市と住民の性格が明らかになる。

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