孫正義「10兆円ファンド」の資金調達を支えた男「ラジーブ・ミスラ」とは一体何者か?

「ビジョン・ファンド」誕生秘話
井上 篤夫 プロフィール

ラジーブの生い立ち

ここで、ラジーブの経歴を辿ってみよう。意外な事実が見えてくる。

1962年1月18日、ラジーブ・ミスラはインドのアッパーミドルクラスの家庭に生まれた。インドで最高峰といわれるIIT(インド工科大学)に合格した。

父は息子に言った。

「将来は医者かエンジニアになるように。それ以外は時間のムダだ」

当時、インドでは、いずれかでなければ職を得るのはむずかしかった。

「医者は大変なので、自分はエンジニアになる」とラジーブは答えた。数学と物理がとても好きだった。

1980年当時、インドからフルスカラーシップで、学部生でアメリカ留学する人はほとんどいなかった。両親は学費を払うことができなかったし、たとえお金があったとしても、インド政府の交換留学枠というのもなかった。

アメリカのSAT(大学進学適性試験)を受験し、タイプライターを使って応募書類を作成した。

フルスカラーシップ(学費、食費、寮費、教科書、コンピュータなどのすべて)認定をくれる大学に行くつもりだった。それをしてくれたのがペンシルベニア大学。「片道チケットと200ドルをポケットに入れて、いらっしゃい」ということだった。

 

アメリカは「機会の平等を約束する国」だ。ラジーブは言う。

「学業においてはペンシルベニア大学はMITより楽だったし、いま思うとエンジニアリング以外の一般教養や哲学を学べたのはよかった」

エンジニアリング(機械工学)を学んだ理由は発電所や車、ロボットを作りたかったから。

だが、機械工学専攻の学生として学部を半分ほど終えたころ、このままでは仕事の口がないことに気づいた。外国人がアメリカで職を得るには、そのポストにふさわしいアメリカ人が存在していないということを証明しなくてはならない。

そこで目をつけたのがコンピューターサイエンスだった。ここならアメリカ人は少なく、仕事を得やすかった。この分野の好き嫌いは関係なく、仕事のため、グリーンカードのためだった。

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