孫正義「10兆円ファンド」の資金調達を支えた男「ラジーブ・ミスラ」とは一体何者か?

「ビジョン・ファンド」誕生秘話
井上 篤夫 プロフィール

2005年、ふたりで4日間、インドを訪問した。デリー2日、ムンバイ2日。孫はそのときブロードンドでストーリンミングできる映像コンテンツを買いたいと考えていた。現在のネットフリックスがやっていることを見越してのことだ。そこで、インドの関係者に紹介した。

インド滞在中、孫には特別な何かがあると思うようになった。まだスマホが影も形もない時代に、孫はコンテンツを買って、自宅や個人の手元に送りたいと考えていたからだ。

コンピューティングが家庭や、個人の手元にやってくる時代が、孫には見えていた。そして孫はラジーブによれば「将来を見通すことができるビジョナリーであり、大胆なリスクテーカー」である。

2014年に再会、そして…

2006年1月の第1週、孫からラジーブに電話があった。ボーダフォン日本法人買収のための資金調達だ。そのとき、ラジーブの妻は妊娠しており、出産が迫っていた。東京行きをラジーブが断ると、孫がロンドンのラジーブを訪れた。

 

キャッシュで200億ドル必要だった。そのうち自己資金は20億ドルしかない。2006年1月4日の時価総額(マーケットバリュー)は、約5・1兆円。孫は残り180億ドルの融資を頼みにきた。

「考えてみるけれど、私は銀行ではなくあくまで従業員なので180億ドルの金額なら上層部の承認が必要です」とラジーブは答えた。

ラジーブはこの案件のために事業証券化を業界ではじめて導入し、資金調達を成功させた。ソフトバンクグループの自己資金20億ドルによる投資は、800億ドルもの累計回収額となった。

その後、孫とは2007年に1度会ったきりで交流は途絶えた。

2014年6月、ふたりは再会した。

孫はソフトバンクグループを国際的な企業にしたいと考えていた。アリババはIPOを申請していた。ソフトバンクグループを国際的な企業にするために、ラジーブのように国際金融や投資のことをよくわかっている人にともに働いてほしいと要請した。

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