2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロで、父親が犠牲者となってしまった。そのことを、タイミングを見ながらでも、子供たちにきちんと伝えてきたという杉山晴美さん。あの日を忘れてはならないと綴る連載「あの日から20年」、17回目は「父と子」についてお伝えしている。前編では自身も3歳のときに実の父親を失った時のことを振り返ったが、後編では今も確実に家族の中に息づいている夫の存在と、発信してきたことに対する長男の行動についてお送りする。

帰国する直前の晴美さんと息子たち 写真提供/杉山晴美
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我が家には仏壇がない

我が家には仏壇がない。夫の遺骨もほぼない。この連載にものせた手記にも書いたが、発見されたのは右手親指のみ。その僅かな遺灰を夫の両親と分け、わたしと3人の息子はペンダントにしており、それが写真と共にリビングに置いてある。その場所が、いわば仏壇替わりと言えば替わりなのだが「ぶーちゃのとこ」とか「ぶーちゃの場所」とか呼ばれ、無くしたら困る書類やら大事なアクセサリーやら、そんなものの置き場になっている。「〇〇どこにある?」「あ~、ぶーちゃのとこに置いてあるから探して」とか「〇〇無くすと困るからぶーちゃのとこ置いとくよ、覚えといてね!」とか。少年野球のカップやら、記念ボールやら、賞状やら大学の合格通知、マイナンバーカード、最近では新型コロナワクチン接種チケットまで置いてあり、今や夫の写真は物で埋まってよく見えない。

杉山家の「ぶーちゃのとこ」。陽一さんは一緒に普段の生活をしている 写真提供/杉山晴美

子供たちが小さい頃、食べ残しのおやつがカピカピになって出てきたこともあった。聞けば「おいしかったからぶーちゃにあげた」と、たしかあれは次男の仕業だった。

今成長した子供たちは、それぞれどのように夫のことをとらえているか定かではない。それもまた自然に語り合う機会があれば聞いてみようと思う。ふと思い出したときに話題にする。そのスタイルで20年過してきたから。ふんわり柔らかくそれぞれの中に生きていて、それぞれがそれぞれのタイミングでぶーちゃを想い出し、語りかけているのではないか……そんな風に感じている。