もし、大切な家族がテロに巻き込まれたら――。
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。日本人24人を含む3000人もの方が亡くなられ、6000人もの方々が負傷したと報じられた。その24人のひとりとなってしまった杉山陽一さんの妻・晴美さんは、当時3歳と1歳の男の子に加え、お腹の中に赤ちゃんもいた。

Photo by Getty Images

行方不明の夫を探す日々、切迫早産で入院、行方不明のまま夫が会社退職となった時のこと、出産の直後の夫の遺体発見……2002年4月にアメリカでお別れの会をしてその後、7月31日に日本に帰国した晴美さん。その1年の間にも、心配する友人知人たちに率直に現状のメール報告を行ってもいた。そして、2002年12月には手記『天に昇った命、地に舞い降りた命』と題した手記が出版された。

あの日から20年が経つ今年、晴美さんが「あの日を忘れてはならない」と始めた連載では、15回にわたって手記の再編集をお届けしてきた。今回からは晴美さんによる書下ろしでこの20年のことをお届けする。16回目の今回は、なぜ辛い中で手記をまとめるに至ったのか、率直な思いをお伝えいただく。

-AD-

なぜわたしは「書いた」のか

この企画を頂き、今あらためてこの20年を振り返っている。これは私が望んだ作業でもある。「作業」と聞くとピンとこない方も多いかもしれないが、思えば私はあの事件以降、「作業」と表現したくなるような言動を繰り返してきた。

それは特殊な才能や能力を持ち合わせているわけでもなく、何か特別なキャリアを積み重ねたわけでもない平凡な私が、とてつもない困難に直面し、なんとか元気に前向きに生きていくため「今これやっとこう!今ちょっと辛くても、これやっときゃ次に進める気がする!」と本能的に察知した行いのこと。

ぱっと見危なっかしく見えるようで「え?大丈夫?そんなに無理しなくていいんじゃない?」と周囲からは心配の声をいただいたこともあるが、案外単純に捉え、まさに作業のごとく、こなしていけばよい。
冷静に起きた事実と向き合い、自分を客観視することで、自身の本当の心のうちがわかり、今後目指したいものが見えてくる。

「書く」ことは自分を客観視するためにも必要だった Photo by iStock