2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。日本人24人を含む3000人もの方が亡くなり、6000人もの方が怪我を負った前代未聞のテロ事件から、20年が経つ。残念ながら24人のひとりとなってしまった杉山陽一さんの妻・晴美さんが、決して忘れてはならないと、自身の著作と書下ろしでお伝えする連載「あの日から20年」。

15回目の今回は、2001年9月11に日にお腹の中にいた子を出産後、陽一さんの遺体の一部が見つかってアメリカでお別れの会を開き、2002年7月31日に帰国の途についた晴美さんが、1年後の9月11日を迎えた時のことをお伝えする。

陽一さんが子供たちを遊ばせていた思い出のプールでも、晴美さんが最後は遊ばせていた 写真提供/杉山晴美
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あらためてかみしめる、事件の忌まわしさ

そんな普通の日々がスタートした中で、わたしたちは9月11日を再び迎えることとなった。
ニューヨークでは、メモリアルの式典が予定され、旧富士銀行の被害者家族も多数渡米の計画を立てていた。夫の両親もまた、ニューヨークに行くという。けれど、わたしと子供たちは日本に残ることにした。

帰国後、日も浅いということもあった。子供たちの体調を考えても、7月31日に帰国してようやく時差ぼけもおさまったこの時期、再び1週間の日程でニューヨークに行くのきつかった。4歳、2歳、0歳という3人の子連れの飛行機往復ももちろんきつい。時差ぼけもなおり、幼稚園通いも始まり、この普通の生活をしながら、11日は過ごそうと思った。

けれど、果たして普通でいられるだろうか。

11日が近くなってくると、「テロ事件から1年」という言葉を、あちらこちらで耳にするようになった。衝撃的なあの映像も、再び目に飛び込んでくる。専門家の様々な声も聞こえてくる。アメリカは、あの事件を未然に防げたはずだ。そんなアメリカの不備が指摘されるにつけ、わたしの中の血液は、また逆流しそうになるのである。

この事件を未然に防ぐことができたのなら…Photo by Getty Images

オサマ・ビンラディンの居所も、未だ不明である。事件は終わってはいない。中東では、自爆テロが繰り返し行われている。暴力の連鎖がさらなる不幸を呼んでいる。この暴力は、果たしてどこかで断ち切ることができるのだろうか?

アメリカでは、ブッシュ大統領がイラク攻撃をほのめかし始めた。独走状態になっても、なおプライドを守り通すのか? 孤立してもなお、自らの誇りのためなら、我を張り通そうというのだろうか? アメリカはいったい、どこまで走り、どこにたどり着きたいのだろう?

わからない。わたしには、わからない。わからないことだらけだ。1年経ってますますわからなくなってしまった。被害者家族として、いまなにをどう思えばいいのか。少なくとも「今」はまだ、明確な回答はできない。それが、正直なところなのだ。

事件も終わっていないが、わたしの中の整理整頓もまだ終わってはいないというところだろう。必死で頭の中を整理しようとすると、またかき乱される。この1年、その繰り返しだった。1年経った今、この事件について、わたしなりの意見を記してみようと試みても筆が進まない。なんとも書きようがないのだ。未整理状態の今、わたしにはこの事件を語る力がまだない。

1年とは確かに節目ではあるものの、やはりたかだか1年なのである。
わたしたち家族は、1年では全貌が見えきれないほどの大きな事件に巻きこまれてしまったのだと、再認識せざるを得ない。長期戦なのである。1年また1年と、考え続けるしかないのであろう。

わたしから、今度は子供たちの代へ。いつしか、子供たちは「テロ遺児」としての自覚に目覚める日が来るのかもしれない。悲しい自覚ではあるかもしれないが、やはり受け止めなければいけない事実でもあるのだろう。
普通の日々を送りながらも、自分が巻きこまれた事件の忌まわしさを改めてかみしめながら、9月11日はまたやってきたのである。