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銭湯で見つけたお気に入り少年をホルマリン漬けに…26歳男が起こした残虐事件の全貌

昭和事件史(1)前編

1957(昭和32)年は、日本の南極観測隊が南極大陸に初上陸し、コカ・コーラが日本で発売され、長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団した年である。経済白書の序文に「もはや戦後ではない」と書かれたのは前年のこと。日本は高度経済成長期を迎えており、人々の暮らしには多少の余裕が生まれていた。そんな頃、後の世であまり振り返られることのないおぞましい猟奇事件が発生している。ここでは、事件当時に発行された新聞紙面を元に、そのアウトラインをなぞってみたい。

※1957年当時の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞 などの報道をもとに構成しています。またわかりやすさの観点から、当時の紙面 を平易な文章に修正している箇所があります。

※新聞紙面情報に基づき、殺人事件の描写に関する記述があります。

 

12歳の息子が行方不明に…届いた脅迫状

「ついにさがし求めていたかわいい男の子をみつけた」

犯人は日記にそう記していた……。1957年4月2日夜、東京都中野区在住の中学1年生・大倉一典さん(仮名:12歳)が“銭湯に行く”といって出かけたまま行方不明になっていた。当時は日本の一般住宅に内風呂が当たり前のように普及する以前である。

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母親の須藤ふじさん(仮名:36歳)は警察に連絡することをしばらくためらったが、2日後の4月4日に脅迫状めいたハガキが届いたことでようやく通報を決意する。

「セガレを返してほしければおかあさんが四日午後四時までに、鶴ケ島駅に十五万円持って来い。警察に知らせたら、子供を殺すかも知れない」(朝日新聞4月5日付朝刊)

手紙の内容を受けて、警視庁野方署(中野区)は東武鉄道東上本線「鶴ヶ島駅(埼玉県)」に捜査員を配置したものの、指定の時間に犯人らしい人物は現れなかった。

警察は当初、一典さんが珍しい家庭環境で暮らしていたこと、ふじさんと離婚した一典さんの父親が海外に長期滞在中の著名スポーツ関係者であることに、事件解決のカギがあると睨んでいた。しかし、それはとんだ見当違いだった……。

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