明らかに普通では考えられないような塩基配列
2020年中国・武漢市で突如として現れた新型コロナウイルス(SARS‒CoV‒2)ですが、どのような経緯で誕生したかについては完全に解明されたわけではありません。
最初にアウトブレイクが起きた中国・武漢市には「中国科学院武漢ウイルス研究所」があることから、発生当初から、SARS‒CoV‒2は人造ウイルスではないかという噂が流れていました。
SARSウイルスのスパイクタンパク質をコードする遺伝子領域を見ると、明らかに普通では考えられないような塩基配列があり、それがどこかのウイルスから組み込まれたものではないか、したがって、このウイルスは人造ウイルスではないか、あるいはどこかで作ったウイルスが漏れ出たのではないかということが、かねてからしきりに言われてきました。
しかし、米国・カリフォルニアのスクリプス研究所のグループが、ヒトおよび中間宿主の可能性があるコウモリ、センザンコウなどから得られたSARS‒CoV‒2ウイルスおよび類縁ウイルスの遺伝子配列を仔細に調べた結果、このウイルスが人工的に作られた可能性は、きわめて低いという科学論文を発表しました(Nat Med, 26(4):450, 2020.)。個人的にも「人造ウイルス説はいやな可能性だな」と思っていたのですが、この報告を見て、ちょっとほっとしたのをよく記憶しています。
WHOは「武漢ウイルス研究所流出説」に否定的
世界保健機関(WHO)は、2021年1〜2月に中国・武漢市で発生源調査を実施し、3月30日には「動物から人間への感染が最も可能性が高い」という調査報告書を発表しました。この報告書は、ウイルスの発生源について、可能性が高い順に次の4つのシナリオを挙げています。
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動物から中間宿主を経由して感染
コウモリやセンザンコウなどの野生生物から似たウイルスが見つかっていることや、中間宿主を介したウイルス感染は過去にも事例があることから、WHOはこのシナリオを「考えられる、または非常に可能性が高い」(a likely to very likely)との表現で、最有力仮説としました。 -
動物から直接の感染
コロナウイルスの宿主であるコウモリなどの動物から直接ヒトに感染した可能性です。通常、種を超えた感染は起こりにくく、ヒトへの直接感染は起きにくいとされています。しかし、コウモリと接触が多い人からコウモリのコロナウイルスに対する抗体が見つかっていることから、直接感染の可能性は十分高いとみています。報告書では「可能性がある、または可能性が高い」(a possible to likely)という表現を用いています。 -
冷凍食品による外部からの持ち込み
これは中国側が熱心に主張していたシナリオです。実際に中国が輸入した冷凍製品の包装の外側から新型コロナウイルスが見つかったことが根拠とされています。SARS‒CoV‒2は低温環境に耐えることができるので、報告書では「可能性はある」(a possible)と表現されました。ただし、冷凍食品が発生源になったという確定的な証拠はなく、この感染経路は3番目のシナリオになっています。 -
武漢ウイルス研究所流出説
報告書では、武漢ウイルス研究所からウイルスが流出したとの説は「きわめて可能性が低い」(an extremely unlikely)との見方を示しました。その根拠は、COVID‒19が確認された2019年12月以前に、類似のウイルスを扱っていた研究所がないこと、事故は安全措置や管理体制が不十分な研究所では起こりうるが、武漢の研究所はいずれも高い安全性を備えていたことなどを挙げています。
調査報告書は、コウモリやセンザンコウなどの野生生物に感染していたウイルスが何らかのきっかけでヒトに感染したシナリオを有力視していますが、ヒトへの感染がいつどこで起こり、どのように感染爆発につながっていったかについては不明のままです。残念ながら、報告書の内容だけでは人造ウイルス説を完全否定できないように思います。