東京五輪が閉幕した。24日からはパラリンピックが開幕となり、再びアスリートたちの闘いが始まる。多くのアスリートたちのプレーは多くの感動や興奮を与えてくれた。中でもサッカー男子3位決定戦対メキシコ戦のあとの久保建英選手の号泣ともいっていい涙は印象に残っている人が多いのではないだろうか。

教育やスポーツの現場を長く取材しているジャーナリストの島沢優子さんが、サッカーの指導者たちとスポーツマンシップの専門家に話を聞き、「スポーツで負けて泣く意味」を考察した。感動や興奮は「スポーツのひとつの要素」にすぎないことを教えてくれる。

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久保建英選手の号泣の理由

東京五輪サッカー男子3位決定戦でメキシコに完敗した直後、久保建英選手(20)はピッチに座り込んだまま泣いていた。サッカーの本場スペインでサバイブする強いイメージやクールな印象を人々に与えてきた彼の涙は、日本のファンを動揺させた。「クボタケ、泣くんだ」「よっぽど悔しかったんだね」といった驚きの声がネットにあふれた。

常にクールでポジティブなイメージだった久保選手が立ち上がれないほどの涙を流したことに多くの人が心揺さぶられた Photo by Getty Images

順位を争うスポーツには、当然ながら勝者と敗者が生まれる。近頃は相手をリスペクトした振る舞いができる「グッドルーザー」という概念が理解されてきたためか、勝敗が決した後のアスリートのありようが時に注目される。

久保選手の涙について、関西クラブユースサッカー連盟会長で元日本代表の廣長優志選手らを輩出した枚方(ひらかた)FC(大阪府枚方市)チェアマンの宮川淑人さんは「彼が初めてチームを背負ったからこその涙ではないか」と話す。

「ひょっとしたら、彼は今まで『自分の居場所』になるチームで、チャンピオンシップを獲りにゆく戦いをあまり経験していなかったのではないでしょうか。うまいから上のカテゴリーに呼ばれて飛び級する。でも、そこは『彼の居場所』ではなかったのかもしれない。それが、東京五輪で初めて自分がチームの中心となり、目標を持って魂込めて大会に臨んだ。だから自然と泣き崩れたのだと思う」

小学生の途中からFCバルセロナの下部組織で過ごし、中学、高校年代の途中までFC東京でプレーした久保選手は、例えば15歳の時は18歳のカテゴリーでプレーするなど飛び級し続けてきた。

2013年、日本で開催されたジュニアサッカーチャレンジでは、スペインチームで参加した久保選手。圧倒的な強さを見せていた Photo by Getty Images

「その結果、同じ年なりの遊びをしていない。上に行って活躍はしますが『中心』とか『屋台骨』ではない。つまり、チームを背負ってプレーしていません。毎年のようにチームやカテゴリーという居場所が変わる。良いか悪いかは別として、日本選手のように中高それぞれで3年間一緒の仲間でチームを構築していく、互いに高め合っていくといった経験をしていません。ところが、今回は自分のチームです。シーズンの一部であっても何年間か一緒に帯同してきた仲間でした」

宮川さんのいう「同じ年なりの遊び」というのは、サッカーも含めて、練習や試合の前後の時間、コミュニケーションすべてを指す。そう考えると、久保選手にとって東京2020の日本代表は自分の居場所だったのだ。