――おじいさんについて始めた勉強を、最後までやり抜きなさい。だけどそれが終わったら、学んだことを保存して先に進みなさい。楽しいことを見つけなさい。幸せな家族を作って、幸せになりなさい。人生なんて短いんだから、とにかく一生懸命生きるんだ。決して諦めるんじゃあないよ――

高校2年生の時に読んだ祖父の手記で、祖父が岩手県釜石市にあった連合軍捕虜収容所の所長だったこと、そしてBC級戦犯として裁かれていたことを知った小暮聡子さん。なぜ大好きだった祖父は戦犯になったのか。そもそも戦争とは何なのか。それを知るために勉強を続け、アメリカに留学すると、アメリカ人の元捕虜の方の集いに参加することができた。そこで出会った元捕虜アル・フェルセン氏から、冒頭のように言葉をもらい、小暮さんはその言葉を胸に、帰国の途につく。

大好きなおじいちゃんの写真を見ては、真実を知りたいと感じていた 写真提供/小暮聡子

終戦から76年の今日、真実を追いかけ続けた小暮さんのこれまでの道のりを伝える「祖父と戦争の真実」、4回目は帰国して小暮さんが出会った「祖父にまつわる知りたくなかった証言」についてお届けする。

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事実も見方も食い違う証言が

1年間のアメリカ留学を終えて2003年8月に日本に帰国すると、釜石収容所について調査をしていた笹本さんが、釜石にいた元米捕虜が書いた本を見つけたと連絡をくれました。『Surviving the Day~An American POW in Japan』(1997年)というタイトルのその本は、釜石収容所の元米将校フランク・グレイディ氏(1991年死去)の体験を、コロラド大学の講師で文学を教えるレベッカ・ディクソン氏がインタビューして書き起こしたオーラルヒストリーのような内容でした。そこには、釜石収容所での生活が約60ページにわたって記されていました。

ドキドキしながらページをめくり始めると、「Inaki」(稲木・祖父のこと)という単語が繰り返し出てきます。しかしグレイディ氏が描く祖父像は、フックさんが手紙の中で回想するそれとはかけ離れたものばかりでした。「オネスト・マネジメント(不正なき管理)」がモットーだったという祖父は、グレイディ氏から見ると規則にかたくななほど厳格で、捕虜側の申し入れに耳を貸さないとっつきにくい所長でした。また、捕虜が規則を犯した際、暴力的な私的制裁を避けるために祖父が科したという「営倉(拘束施設)に入れる」という処罰は、捕虜側にとっては苦痛であり屈辱でした。

なぜこうまで両者で見方が違うのか、祖父の著書と読み比べてみると、なんとグレイディ氏は1946年、戦犯裁判の調書を作成するに当たって検察側の証人として祖父の前に現れ、罪状を祖父に突き付けたその人だったのです。グレイディ氏はいわば祖父を訴えた張本人なので、彼の著書は祖父を有罪にした裁判資料と同じ見方を示しており、2人の認識が異なることはある意味では当たり前のことでした。

フック氏とグレイディ氏、ともに祖父が管理した収容所の捕虜なのに、証言が全く違っていた…写真提供/小暮聡子

それでも、グレイディ氏の「証言」は私に大きな困惑をもたらしました。フックさんから送られた手紙の原本コピーは私の手元にあって、そこにはフックさんだけでなく複数の元オランダ捕虜が祖父を評価する言葉が並んでいます。そのうちの1人、G・M・J・フェルステーヒ氏は「稲木さんは良い人だ。人情味があって、アメリカ映画に出てくる日本将校とは違っていた。彼とトラブルのあった捕虜はいないと思う」と話したと書かれています。