虚偽の「証拠」が戦争に向かわせた
その日、私はホワイトハウスからすぐのところにある、ナショナル・プレスビルに入った支局でインターンをしていました。このビルには世界各国のメディアのワシントン支局が入っていて、上層階には各国の報道機関に情報提供を行う米国務省管轄の組織フォーリン・プレスセンターがあります。支局の上司から、フォーリン・プレスセンターで今日パウエルが国連で発表する情報が配られるというので取りに行ってくれ、と言われました。プレスセンターに行くと、紙の資料とビジュアルデータ入りのCD-ROMなどが入ったプレスキットを渡されました。パウエルが国連でのプレゼンテーションに使った「証拠」の画像などを米国務省が国内外のメディアに配布し、大々的に報じさせたのです。
今では「証拠」は虚偽であったことが分かり、結局イラクで大量破壊兵器は見つかりませんでしたが、アメリカではこれが決定的な証拠であるという見方が強まっていきました。それは同時に、差し迫った脅威があるなら「やられる前にやらなければ」という先制攻撃論につながります。米主要メディアも戦争支持の方向に大きく転換しました。私自身は反戦デモに参加するなど戦争反対の立場ではありましたが、期間限定でアメリカに住んでいる自分と、今後も恐怖にさらされながら生活し続ける米市民では「脅威」の受け止め方が違うだろうと思いました。またこの時、もし仮に日本に近隣諸国からミサイルが撃ち込まれそうだという「差し迫った情報」が流布されたら、日本はどうなってしまうのだろうと怖くなったことを覚えています。
結局、ブッシュ大統領は3月19日夜(米東部時間)にイラクに空爆を開始しイラク戦争が始まったのですが、戦争というのは開戦するその日にいきなり始まるものではなく、そこに通じる道のりがあって、開戦に至るまでにひとつずつ誰かの手によって扉が開けられていくものだと知りました。その扉は、国家の一握りの指導者たちだけでなく、一般市民であったり、メディアであったり、色々な人たちの手で開けられていく。もちろん抵抗する人もいるわけですが、イラク戦争の場合はその力の方が弱かったのだと思います。恐怖心が、いかに人間の平常心を狂わせるかを体感し、ずっとくすぶり続けていた疑問がさらに大きくなりました。第二次大戦で、本当に日本国民は一部の指導者たちによる戦争に「巻き込まれた」だけなのだろうか――。
◇アメリカで虚偽の証拠が「戦争開始の後押し」となった現実にも直面した小暮さん。「祖父と戦争の真実」第3回では 、留学先のアメリカで実際に捕虜となっていた方々と初めて対面した時のことをお届けする。
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