戦時中に何があったのかを知りたい

1999年、なんとか東京の大学に入学すると、私は「釜石収容所にいた元捕虜を探す」ことに着手しました。『フックさんからの手紙』には、捕虜将校たちが帰国の数日前に彼らの住所を寄せ書きにして祖父にくれたものの、「軍事裁判の時に親交の証拠として米人弁護士に手渡したまま所在不明」になったと書かれていました。その寄せ書きを見つければ元捕虜に手紙を書ける、そうすれば、戦時中に本当は何があったのか聞けるはずだと考えました。

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誰に聞いたのかは覚えていませんが、BC級戦犯裁判(横浜裁判)の裁判資料が国立国会図書館の憲政資料室にあると知り、授業のない日に初めて国会図書館に行ってみました。憲政資料室には、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による日本占領期の資料を始め、東京裁判や横浜裁判の資料がマイクロフィルムで保管されています。アメリカのメリーランド大学に隣接する米国公文書館(NARA)にある原本の複製が見られるのです。憲政資料室の司書さんに、釜石収容所の所長だった稲木誠のBC級戦犯裁判資料を見たいと言うと、祖父の裁判の番号を調べてくれて、その番号に紐づくマイクロフィルムを出してくれました。ですが、そこに目的の「捕虜の住所を書いた寄せ書き」は見つかりませんでした。

その後も、大学で国政政治史や国際人道法、平和学などを学ぶうちに、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きました。アメリカが翌月にアフガニスタンに空爆を開始し、戦争へと突き進む様子を見ていて、私はやりきれない気持ちになりました。祖父が「勝っても負けても戦争ほど愚かしく、残酷で、むなしいものはない」と書き残した戦争を、アメリカがまた始めようとしている、と。

一方で、アメリカが極端に愛国的になっていく様子をテレビで見ていて、これが本当に起きていることなのか?と疑う気持ちもありました。報道を通してではなく、現地で実際に国際政治が動いて行く様子を見たいと思い、大学4年時を1年休学してアメリカに留学することにしました。2002年7月にオハイオ州の大学に留学し、翌年1月から5月まで、大学のプログラムとして学生約20名で首都ワシントンに滞在し、インターンをしながら政府機関やメディア、NGOや国連機関等を訪問してレポートを書くという経験をしました。

03年、首都ワシントンで共に暮らしたケント州立大学の仲間たちと 写真提供/小暮聡子

この経験は、「戦争とメディア」について私に非常に多くのことを教えてくれました。インターン先として、時事通信社ワシントン支局にお世話になりました。2003年3月にイラク戦争が始まるわけですが、ワシントンにおいて「戦争」をリアルタイムで追いかけられるのは報道機関だと思いましたし、祖父が時事通信社の記者だったので採用してくれるかも、という期待もありました。