高校2年生の時、祖父の手記「フックさんからの手紙」を読み、「大好きだったおじいちゃん」が岩手県釜石市で連合軍捕虜収容所の所長をと務めており、戦争犯罪人とされていたことを知った小暮聡子さん。これは、当時はあまり学校に行かず、夜遊びをしていた小暮さんにとって、人生を変える出会いだったという。すっかり過去のことだと思っていた戦争。それがこんなに身近なところで、自分と深くかかわっていたなんて……。

「大好きなおじいちゃん」稲木誠さんに抱き寄せられる小暮さん(写真左)と妹さん 写真提供/小暮聡子

小暮さんは、祖父の手記を読み、戦争とは何か、なぜ祖父は戦争犯罪人にならなければならなかったのか調べる決意をし、行動を起こしていく。その道のりを伝える「祖父と戦争の真実」、5回に分けてお届けする2回目は、祖父の手記に出会った1回目に続き、戦犯とは何かを調べ、学び、アメリカで「戦争の現実」を目の当たりにするまでをお伝えする。

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おじいちゃんは5400人あまりのひとりなんだ

「戦犯」とは何だろう、と日本史の教科書(『詳説 日本史』山川出版社、1997年)を開くと、「戦犯問題」と題された囲み欄の中に、以下のようなことが書かれていました。

<ポツダム宣言にもとづいて、戦争犯罪容疑者の逮捕・裁判が行われた。捕虜虐待など通常の戦争犯罪のほか、平和と人道に対する罪を犯したとして、戦前・戦中の多くの指導者が敗戦直後から逮捕され(A級戦犯)、1946(昭和21)年連合国軍は極東国際軍事裁判をもうけ、まず容疑者のうち28人を起訴して裁判に付した……このA級戦犯のほか、通常の戦争犯罪を犯したもの(B・C級戦犯)として、アメリカ・イギリス以下関係国の50カ所の裁判所で5400人余が起訴され、937人が死刑、358人が終身刑の判決をうけた。>

小暮聡子さんが今も所有している、高校時代に使った日本史の教科書 写真提供/小暮聡子
 

ああ、おじいちゃんはこの5400人あまりのうちの1人だったのか、と思いました。囲みの中にあった「この裁判には、勝者による敗者に対する一方的裁判という批判もあった」という短い一文に、だからおじいちゃんは裁かれたのだろうか、と想像しました。ですが、それ以上のことは分かりませんでした。まだ我が家にインターネットがない時代だったので、何をどう調べていいのかも分かりませんでした。

それで、勉強することにしたのです。勉強して大学に入ろう、と。祖父がなぜ戦犯とならなければならなかったのか、戦争とは何なのか、その答えを探したいと思いました。

後に母から聞いたところ、当時は私に何でもいいから興味を持たせて道を正そうとあの手この手を使っていて、祖父の手記を持ってきたのもその1つだったそうです。母の思惑通りになったわけですが、受験勉強を始めるには時期が遅かったため、英語と日本史と国語だけで受けられる私立文系にしぼって勉強を始めました。また、文学部で歴史を専攻するのではなく国際政治を学べる大学を受験することにしました。漠然とですが、祖父は国と国との対立に巻き込まれたのではないか、という気がしていたのだと思います。